ルカ 11:27 イエスがこれらのことを話しておられると、ある女が群衆の中から声高らかに言った。「なんと幸いなことでしょう、あなたを宿した胎、あなたが吸った乳房は。」
11:28 しかし、イエスは言われた。「むしろ、幸いなのは神の言葉を聞き、それを守る人である。」

幸いであるということはどういうことだろう。
自分が幸いだと思う人こそ幸いであるというむきもある。
しかし、ここでは明確に「神の言葉を聞き、それを守る人」が幸いであると語られている。
神の言葉を聞き、それを守るということは、真に生きているということであろう。
生きているようで死んでいる人ではない。
人が生きていれば、いろんなことが起こる。
それでも「生きている」ことを楽しみたいし、感謝したい。
明日のことなど分からないことを不安と思うか、それとも楽しみと思うか、そのような違いが幸いであるかどうかに関わってくるのだろう。
さあ、神様は、今日私に何を見せて下さるだろうか。楽しみである。

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