ルカ 9:43 イエスがなさったすべてのことに、皆が驚いていると、イエスは弟子たちに言われた。
9:44 「この言葉をよく耳に入れておきなさい。人の子は人々の手に引き渡されようとしている。」
9:45 弟子たちはその言葉が分からなかった。彼らには理解できないように隠されていたのである。彼らは、怖くてその言葉について尋ねられなかった。

イエス様は、これからご自分がどうなるかを知っておられた。
もちろん、捕らえられて殺されることも、である。
普通、自分がどういう最後を迎え、どんな死に方をするかといったことはわからない。
分からないから不安や恐れもある。
人は死んだらどうなるのか、それもまた分からない。
イエス様を信じることによってもたらされる救いの約束は、その恐れや不安に対する慰めと平安を与えることができる。
もちろん、なかなか完全にとはいかないかもしれないが、和らぐことはできるだろう。

1ヨハネ 4:14 わたしたちはまた、御父が御子を世の救い主として遣わされたことを見、またそのことを証ししています。
4:15 イエスが神の子であることを公に言い表す人はだれでも、神がその人の内にとどまってくださり、その人も神の内にとどまります。
4:16 わたしたちは、わたしたちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛にとどまる人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。
4:17 こうして、愛がわたしたちの内に全うされているので、裁きの日に確信を持つことができます。この世でわたしたちも、イエスのようであるからです。
4:18 愛には恐れがない。完全な愛は恐れを締め出します。なぜなら、恐れは罰を伴い、恐れる者には愛が全うされていないからです。

イエス様が私たちの身代わりに、不安や恐れを取り去るために十字架で死なれたことを覚えたいものである。

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