ルカ 8:16 「ともし火をともして、それを器で覆い隠したり、寝台の下に置いたりする人はいない。入って来る人に光が見えるように、燭台の上に置く。
8:17 隠れているもので、あらわにならないものはなく、秘められたもので、人に知られず、公にならないものはない。
8:18 だから、どう聞くべきかに注意しなさい。持っている人は更に与えられ、持っていない人は持っていると思うものまでも取り上げられる。」

灯は、周りを照らすために、部屋に入ってくる人が見やすいように燭台に置かれる。
同じように、我々の言動も、隠れたままにされるものはなく、顕わにされていくという。
しかし、そのことについて、ここでは「だから、どう聞くべきかに注意しなさい」と語られているのである。
「どう行動すべきか」ではなく、「どう聞くべきか」が問われている。

ローマ10:17 実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。

神の言葉を聞くという行為は、神を信じるということと深く関係している。
イエス様こそ神の言葉であるからである。
イエス様を受け入れるという事は、御言葉を聞くということ。
そう考えれば、他者を受け入れること、隣人を愛することというのも、その人の話す言葉に耳を傾けていくことと言えよう。
なぜなら、イエス様がまず私たちの祈りを聞いていて下さるからである。

愛のない者には聞くことができないし、聞こうとしない。
聞くことは、愛に生きる者の、もっとも大切な行為の一つであり、最も基本的な第一歩でもある。

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