ルカ 6:1 ある安息日に、イエスが麦畑を通って行かれると、弟子たちは麦の穂を摘み、手でもんで食べた。
6:2 ファリサイ派のある人々が、「なぜ、安息日にしてはならないことを、あなたたちはするのか」と言った。
6:3 イエスはお答えになった。「ダビデが自分も供の者たちも空腹だったときに何をしたか、読んだことがないのか。
6:4 神の家に入り、ただ祭司のほかにはだれも食べてはならない供えのパンを取って食べ、供の者たちにも与えたではないか。」
6:5 そして、彼らに言われた。「人の子は安息日の主である。」
昨日までの三日間、新人教職者の先生方の研修会に参加してきた。
いちおう、指導する側の立場であるが、指導する側とされる側といった雰囲気はなく、和気あいあいとした雰囲気での研修会である。
それでも、心のどこかで「きちんとしなければ」といった思いがあるのか、体は緊張していたようである。
夜など、寝ていても、神経が昂るのか、ほとんど眠れないし、そのせいもあってか、腸の働きが悪くなり、あまり綺麗な話ではないが、普段の時と、トイレにいく回数が異なるのである。
そして、研修会を終えて帰宅すると、いつもの状態に戻る。
不思議なものである。
やはり、心も体も休める状況というのは必要である。
時には緊張することも必要だが、緊張しっぱなしというのも良くない。
疲れを覚えた時、緊張し続けている時こそ、救い主イエス様の御前で、安心していられる、そんなものでありたい。