ルカ 3:23 イエスが宣教を始められたときはおよそ三十歳であった。イエスはヨセフの子と思われていた。ヨセフはエリの子、それからさかのぼると、
3:24 マタト、レビ、メルキ、ヤナイ、ヨセフ、
3:25 マタティア、アモス、ナウム、エスリ、ナガイ、
3:26 マハト、マタティア、セメイン、ヨセク、ヨダ、
3:27 ヨハナン、レサ、ゼルバベル、シャルティエル、ネリ、
3:28 メルキ、アディ、コサム、エルマダム、エル、
3:29 ヨシュア、エリエゼル、ヨリム、マタト、レビ、
3:30 シメオン、ユダ、ヨセフ、ヨナム、エリアキム、
3:31 メレア、メンナ、マタタ、ナタン、ダビデ、
3:32 エッサイ、オベド、ボアズ、サラ、ナフション、
3:33 アミナダブ、アドミン、アルニ、ヘツロン、ペレツ、ユダ、
3:34 ヤコブ、イサク、アブラハム、テラ、ナホル、
3:35 セルグ、レウ、ペレグ、エベル、シェラ、
3:36 カイナム、アルパクシャド、セム、ノア、レメク、
3:37 メトシェラ、エノク、イエレド、マハラルエル、ケナン、
3:38 エノシュ、セト、アダム。そして神に至る。

イエス様からアダムに至る系図であるが、最後のところで「神に至る」と記されているのが興味深い。
キリストは神の子であり、人もまた神の子となる。
すべての人はアダムから発しているのなら、全ての人も神に至る。
たんなる系図としてだけではなく、我々も必ず「神に至る」というメッセージとして受け止めたい。

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