1ヨハネ 5:13 神の子の名を信じているあなたがたに、これらのことを書き送るのは、永遠の命を得ていることを悟らせたいからです。
5:14 何事でも神の御心に適うことをわたしたちが願うなら、神は聞き入れてくださる。これが神に対するわたしたちの確信です。
5:15 わたしたちは、願い事は何でも聞き入れてくださるということが分かるなら、神に願ったことは既にかなえられていることも分かります。
5:16 死に至らない罪を犯している兄弟を見たら、その人のために神に願いなさい。そうすれば、神はその人に命をお与えになります。これは、死に至らない罪を犯している人々の場合です。死に至る罪があります。これについては、神に願うようにとは言いません。
5:17 不義はすべて罪です。しかし、死に至らない罪もあります。
5:18 わたしたちは知っています。すべて神から生まれた者は罪を犯しません。神からお生まれになった方が、その人を守ってくださり、悪い者は手を触れることができません。
5:19 わたしたちは知っています。わたしたちは神に属する者ですが、この世全体が悪い者の支配下にあるのです。
5:20 わたしたちは知っています。神の子が来て、真実な方を知る力を与えてくださいました。わたしたちは真実な方の内に、その御子イエス・キリストの内にいるのです。この方こそ、真実の神、永遠の命です。
5:21 子たちよ、偶像を避けなさい。

私たちは様々なことを神に祈る。
すぐに適えられないことも多く感じられるかもしれないが、御心なら必ず聞いて下さる。
そして、死に至らない罪と死に至る罪とがあり、死に至らない罪を犯している兄弟を見かけたら、その人のためにとりなして祈ることも勧められており、神はその人に命をお与えになるであろうと語られる。
しかし、死に至る罪を犯している人のためにまで祈る必要はないことも語られている。
死に至らない罪と、死に至る罪との違いについては詳しく触れられていないので、線引きが難しいようにも思えるが、私たち自身が「この人には救われて欲しい」と思う人のために祈って行けば良いということであろう。
しかし、そうではない人のために祈らなくても良いというわけでもないのであろうが、祈らなかったからと言って責められることもないのであろう。
避けるべきは、呪ったりすることや、裁きがもたらされるように祈ったりすること、であろう。

1コリント4:5 ですから、主が来られるまでは、先走って何も裁いてはいけません。主は闇の中に隠されている秘密を明るみに出し、人の心の企てをも明らかにされます。そのとき、おのおのは神からおほめにあずかります。

ヨハネ3:17 神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。

1テモテ2:1 そこで、まず第一に勧めます。願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい。
2:2 王たちやすべての高官のためにもささげなさい。わたしたちが常に信心と品位を保ち、平穏で落ち着いた生活を送るためです。
2:3 これは、わたしたちの救い主である神の御前に良いことであり、喜ばれることです。
2:4 神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます。

世界中の全ての人のためにとりなし祈ることは無理でも、世界の片隅で我々が出会う一人一人のために、まずは祈っていきたいものである。

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