1ヨハネ 1:1 初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て、手で触れたものを伝えます。すなわち、命の言について。――
1:2 この命は現れました。御父と共にあったが、わたしたちに現れたこの永遠の命を、わたしたちは見て、あなたがたに証しし、伝えるのです。――
1:3 わたしたちが見、また聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたもわたしたちとの交わりを持つようになるためです。わたしたちの交わりは、御父と御子イエス・キリストとの交わりです。
1:4 わたしたちがこれらのことを書くのは、わたしたちの喜びが満ちあふれるようになるためです。
1:5 わたしたちがイエスから既に聞いていて、あなたがたに伝える知らせとは、神は光であり、神には闇が全くないということです。
1:6 わたしたちが、神との交わりを持っていると言いながら、闇の中を歩むなら、それはうそをついているのであり、真理を行ってはいません。
1:7 しかし、神が光の中におられるように、わたしたちが光の中を歩むなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血によってあらゆる罪から清められます。
1:8 自分に罪がないと言うなら、自らを欺いており、真理はわたしたちの内にありません。
1:9 自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。
1:10 罪を犯したことがないと言うなら、それは神を偽り者とすることであり、神の言葉はわたしたちの内にありません。

神との交わりを持つということは、神の御前に、自らの全てを申し開きすることである。
神の前では、隠し事など無用である。
そして、そのような生き方をしている人は、もはや神から責められることはない。
だから平安のうちを歩むことができる。
しかし、自らを偽り、なにか清いものであるかのように考えたり、高ぶっているなら、必ず自己矛盾をきたしていき、そこに平安は保たれない。
不安、恐れ、怒りといったことがいつまでも離れないのは、真実な悔い改めができていないからであろう。
一方、自分の本当の姿をきちんと向き合っていく人は、己の弱さや罪深さをよく知っているし、そのためにイエス様が死なれたことをしっているために、本当の赦しを体験し、不安や恐れ、怒りの感情などもなくなっていく。
神との交わりが正しく保たれているかどうかは、他者との関わりを通して見えてくる。
他者への不満や怒りが湧きおこる時、そこには、まだ自分がひとかどの者であると考えている証拠でもある。
己の罪を示された時は、まずは神のもとへ立ち返り、神との交わりを確認し、赦された罪人に過ぎないものであることを覚え、そこから再び歩みだしていきたいものである。

Write a comment:

Your email address will not be published.