コヘレト 3:18 人の子らに関しては、わたしはこうつぶやいた。神が人間を試されるのは、人間に、自分も動物にすぎないということを見極めさせるためだ、と。
3:19 人間に臨むことは動物にも臨み、これも死に、あれも死ぬ。同じ霊をもっているにすぎず、人間は動物に何らまさるところはない。すべては空しく、
3:20 すべてはひとつのところに行く。すべては塵から成った。すべては塵に返る。
3:21 人間の霊は上に昇り、動物の霊は地の下に降ると誰が言えよう。
3:22 人間にとって最も幸福なのは、自分の業によって楽しみを得ることだとわたしは悟った。それが人間にふさわしい分である。死後どうなるのかを、誰が見せてくれよう。
人間が他の動物とは違って、尊い存在として創られている、と思われているが、実際には他の動物と何ら変わるところはなく、この世界の被造物の一つに過ぎないのもまた事実であろう。
健康が損なわれれば病み、災害や事故で命を落とし、全ての命と同様、いつか終わりを迎える。
ただ、他の動物とは全く異なることもある。
言葉を用いたり、互いを労り、愛し合う事の出来る存在として人は造られている。
それが人間だけが与えられた特別なことであり、神の形に似せて造られた人の人たる所以でもある。
しかも、それらの特別な能力は、神から与えられた賜物であり、それらの賜物が与えられているからと言って、何ら、誇ったり、驕り高ぶるようなものでもない。
ただただ与えられたことを感謝するばかりであろう。
それは人間同士でも同じこと。
自分を何か優れた者であるかのように奢ったり、他者を見下したり、そんなことをできる資格などない。
それよりも、人と人同士で互いに労りあい、愛し合い、仕え合っていけるように、言葉を用い、時を用い、共に生きていく。
それが神に創られた人として生きるということであろう。