コヘレト 2:12 また、わたしは顧みて 知恵を、狂気と愚かさを見極めようとした。王の後を継いだ人が 既になされた事を繰り返すのみなら何になろうか。
2:13 わたしの見たところでは 光が闇にまさるように、知恵は愚かさにまさる。
2:14 賢者の目はその頭に、愚者の歩みは闇に。しかしわたしは知っている 両者に同じことが起こるのだということを。
2:15 わたしはこうつぶやいた。「愚者に起こることは、わたしにも起こる。より賢くなろうとするのは無駄だ。」これまた空しい、とわたしは思った。
2:16 賢者も愚者も、永遠に記憶されることはない。やがて来る日には、すべて忘れられてしまう。賢者も愚者も等しく死ぬとは何ということか。
2:17 わたしは生きることをいとう。太陽の下に起こることは、何もかもわたしを苦しめる。どれもみな空しく、風を追うようなことだ。
2:18 太陽の下でしたこの労苦の結果を、わたしはすべていとう。後を継ぐ者に残すだけなのだから。
2:19 その者が賢者であるか愚者であるか、誰が知ろう。いずれにせよ、太陽の下でわたしが知力を尽くし、労苦した結果を支配するのは彼なのだ。これまた、空しい。
2:20 太陽の下、労苦してきたことのすべてに、わたしの心は絶望していった。
2:21 知恵と知識と才能を尽くして労苦した結果を、まったく労苦しなかった者に遺産として与えなければならないのか。これまた空しく大いに不幸なことだ。
2:22 まことに、人間が太陽の下で心の苦しみに耐え、労苦してみても何になろう。
2:23 一生、人の務めは痛みと悩み。夜も心は休まらない。これまた、実に空しいことだ。
2:24 人間にとって最も良いのは、飲み食いし 自分の労苦によって魂を満足させること。しかしそれも、わたしの見たところでは 神の手からいただくもの。
2:25 自分で食べて、自分で味わえ。
2:26 神は、善人と認めた人に知恵と知識と楽しみを与えられる。だが悪人には、ひたすら集め積むことを彼の務めとし、それを善人と認めた人に与えられる。これまた空しく、風を追うようなことだ。

知恵を求め、高貴で祝福された人生を送ったと人も、それとは全く反対に狂気と愚かさに満ちた人生を送った人と、最終的には同じ結末を迎える。
人は誰もが必ず死を迎える。
それは誰にも避けられない現実であり、人間にとって、越えられない最後の関門、打ち破ることのできない最後の敵である。
知恵を追い求めても、あるいは追い求めなくても、全ての人がそのことを知るようになる。
だから、何をするのも空しいと考える人もいるだろう。
一方で、人は必ず死を迎えるから、与えられた限りある一度切りの人生をどう生きようかと知恵を追い求める者もいる。
両者の違いはどこにあるかと言うと、その先への思い、つまり、永遠の命への思いに至るかどうかではないだろうか。
神と出会い、死の先にもまだ命があることを知り、そこへつながって行こうとするなら、刹那的な生き方にはなりえないだろう。
人間が本質的に求めているのは、そういった永遠への思い、あこがれであり「生きていたい」と願う心こそ、神が創られた人間の本姓なのだろうと思う。
そして、永遠には生きられないことを知り、絶望して生きる力を失うものに、生きる力を与えるために、永遠のお方が、その永遠の命をもって贖い、永遠に生きられない我々に永遠の命を与えて下さった、それが神の救いである。
無くならないもの、失われないもの、永遠に生きるものとしてくださった神に感謝。

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