エフェソ 2:1 さて、あなたがたは、以前は自分の過ちと罪のために死んでいたのです。
2:2 この世を支配する者、かの空中に勢力を持つ者、すなわち、不従順な者たちの内に今も働く霊に従い、過ちと罪を犯して歩んでいました。
2:3 わたしたちも皆、こういう者たちの中にいて、以前は肉の欲望の赴くままに生活し、肉や心の欲するままに行動していたのであり、ほかの人々と同じように、生まれながら神の怒りを受けるべき者でした。
2:4 しかし、憐れみ豊かな神は、わたしたちをこの上なく愛してくださり、その愛によって、
2:5 罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に生かし、――あなたがたの救われたのは恵みによるのです――
2:6 キリスト・イエスによって共に復活させ、共に天の王座に着かせてくださいました。
2:7 こうして、神は、キリスト・イエスにおいてわたしたちにお示しになった慈しみにより、その限りなく豊かな恵みを、来るべき世に現そうとされたのです。
2:8 事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。
2:9 行いによるのではありません。それは、だれも誇ることがないためなのです。
2:10 なぜなら、わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたしたちは、その善い業を行って歩むのです。

この箇所は、聖書におけるもっとも重要な救いに関することが語られていると言える。
特に、この世を支配する空中に権力を持つ者、不従順な者たちのうちに今も働く霊に従って過ちと罪を犯していたといった表現は、世間体や人の目を異常に気にする日本人の姿を実に的確に表現していると言えるし、肉の欲望の赴くままに、肉や心の欲するままにこうどうしているといった表現も、かつてエコノミックアニマルと揶揄された日本人そのものと言えるのではないだろうか。
人様に恥ずかしくない生活を送り、できるだけ豊かで金持ちであること、それが多くの日本人にとっての目指すべきステータスとなっているのだろう。
しかし、それらの生活を求めても、心は貧しくなるばかりで、結果的には滅びへと進んでいくだけである。
そんな滅びゆく多くの日本の人たちにも、主なる神様は愛を注いでくださっている。
救われる人が少なくても、この国にもキリストの教会が存在し、憐れみ豊かな神の恵みの言葉が語られている。
どんなに無意味なことに心を奪われようとも、いくらお金に目がくらむような生き方に埋没していようとも、神がこの国の人々をも救いたいことには変わりない。
空しいことに心を奪われていた時の罪も、イエス様は十字架で担って下さった。
この方を信じるだけで救われる。
この国の人々にとって、本当に必要なことは、このような救いの約束なのであろう。
一人でも多くの方が、キリストの救いの恵みに目を留めて下さるようにと願うものである。

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