ルカ 22:47 イエスがまだ話しておられると、群衆が現れ、十二人の一人でユダという者が先頭に立って、イエスに接吻をしようと近づいた。
22:48 イエスは、「ユダ、あなたは接吻で人の子を裏切るのか」と言われた。
22:49 イエスの周りにいた人々は事の成り行きを見て取り、「主よ、剣で切りつけましょうか」と言った。
22:50 そのうちのある者が大祭司の手下に打ちかかって、その右の耳を切り落とした。
22:51 そこでイエスは、「やめなさい。もうそれでよい」と言い、その耳に触れていやされた。
22:52 それからイエスは、押し寄せて来た祭司長、神殿守衛長、長老たちに言われた。「まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持ってやって来たのか。
22:53 わたしは毎日、神殿の境内で一緒にいたのに、あなたたちはわたしに手を下さなかった。だが、今はあなたたちの時で、闇が力を振るっている。」
人は自分の思う通りに事が進まないと、様々な力を行使してでも、自分の思う通りに事を進めようとする。
暴力、そして、言葉の暴力もしかり。
人の間にある争いのほとんどが、こうした理由によって生じているのではないだろうか。
自分事さえ思う通りにはいかないのに、ましてや他人が思う通りに行動するはずがあろうか。
あきらめるのではなく、尊重すること、それが大切なことなのかもしれない。
自分の思う通りに行動することと、それが必ずしも正しいことであるかどうかは、まったく別物である。
もし、周りの人が明らかに間違っていると思うなら、教えてあげるのはいいかもしれないが、力を行使してまで強制しようとしても、別の新たな問題が起こる。
そんなことをしても、イエス様を悲しませるだけであろう。
何が御心に適う事なのか、判断は難しいが、一人一人が心穏やかに過ごせることができるなら、それが一番幸いなことなのではないかと思う。