マタイ 6:1 「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。さもないと、あなたがたの天の父のもとで報いをいただけないことになる。
6:2 だから、あなたは施しをするときには、偽善者たちが人からほめられようと会堂や街角でするように、自分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない。はっきりあなたがたに言っておく。彼らは既に報いを受けている。
6:3 施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。
6:4 あなたの施しを人目につかせないためである。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。」
6:5 「祈るときにも、あなたがたは偽善者のようであってはならない。偽善者たちは、人に見てもらおうと、会堂や大通りの角に立って祈りたがる。はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。
6:6 だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。
本日は灰の水曜日で、これからイースターまでの40日間が四旬節となる。
その最初の日の日課として、人前で善行をしないようにとの勧めと、祈る時は奥まった部屋で隠れたところで祈るようにとの勧めが語られている。
悔い改めと信仰は、人に見せるためのものではないし、むしろ、人に見えない所での生き方のほうが重要ということであろう。
人前でどんなにりっぱな信仰を見せたところで、自分の家や部屋の中では残念極まりないのであるならば、それはここでいう「偽善者」という表現が当てはまるだろう。
本当に悔い改めるべきは、そういうところなのだろう。
人前では謙遜に過ごし、自分の部屋で熱心に祈る。
そういう者でありたいものである。