ヘブル 2:1 だから、わたしたちは聞いたことにいっそう注意を払わねばなりません。そうでないと、押し流されてしまいます。
2:2 もし、天使たちを通して語られた言葉が効力を発し、すべての違犯や不従順が当然な罰を受けたとするならば、
2:3 ましてわたしたちは、これほど大きな救いに対してむとんちゃくでいて、どうして罰を逃れることができましょう。この救いは、主が最初に語られ、それを聞いた人々によってわたしたちに確かなものとして示され、
2:4 更に神もまた、しるし、不思議な業、さまざまな奇跡、聖霊の賜物を御心に従って分け与えて、証ししておられます。

ヘブル書のこれまでのところでは、主なる神様が、御子キリストの到来によって、救いの後家核の全貌を明らかに示された、ということが語られてきている。
そして、それほどに明らかに語られた「御言葉」を聞いた者は、もはや、それらのことを絵空事や、まるで無かったかのように素通りすることはできず、語られた御言葉に注意深く聞いて従っていくしかないのである。
イエス様は歴史上の人物として、十字架にかけられて死なれたことは事実であり、はっきりと世に証されたことであり、それをどう受け止めていくかが一人一人に問われている。
あのイエス様の十字架は私のため、わたしの身代わりとなって死なれたものと受け止めていくならば、その人は幸いである。
私たちは、日々の暮らしの中で、常にこの事実と向き合っていくのである。
今日一日も幸いな一日となりますように。

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