ヨハネ 12:44 イエスは叫んで、こう言われた。「わたしを信じる者は、わたしを信じるのではなくて、わたしを遣わされた方を信じるのである。
12:45 わたしを見る者は、わたしを遣わされた方を見るのである。
12:46 わたしを信じる者が、だれも暗闇の中にとどまることのないように、わたしは光として世に来た。
12:47 わたしの言葉を聞いて、それを守らない者がいても、わたしはその者を裁かない。わたしは、世を裁くためではなく、世を救うために来たからである。
12:48 わたしを拒み、わたしの言葉を受け入れない者に対しては、裁くものがある。わたしの語った言葉が、終わりの日にその者を裁く。
12:49 なぜなら、わたしは自分勝手に語ったのではなく、わたしをお遣わしになった父が、わたしの言うべきこと、語るべきことをお命じになったからである。
12:50 父の命令は永遠の命であることを、わたしは知っている。だから、わたしが語ることは、父がわたしに命じられたままに語っているのである。」
イエス様は、世を裁くために人として世にこられたのではなく、世を救うために来られた、と語られている。
イエス様を信じる人は救われる。
しかし、信じない者は、終わりの時に裁きをうけるとも語られており、やっぱり裁かれるのではないかと思うかもしれないが、あくまでイエス様の来られた目的は、世を救うためであると仰せられている。
我々は、そのイエス様の言葉を心に留める必要がある。
確かに裁きは行われるだろう。
しかし、それは結果であって、目的ではない。
結果はこれからの生きようによって、どうにでも変わる。
しかし、神の目的は永遠に変わらない。
世を救うために来られたイエス様の、その目的を心に留めて、これからの人生を歩んでいきたいものである。