ローマ 11:11 では、尋ねよう。ユダヤ人がつまずいたとは、倒れてしまったということなのか。決してそうではない。かえって、彼らの罪によって異邦人に救いがもたらされる結果になりましたが、それは、彼らにねたみを起こさせるためだったのです。
11:12 彼らの罪が世の富となり、彼らの失敗が異邦人の富となるのであれば、まして彼らが皆救いにあずかるとすれば、どんなにかすばらしいことでしょう。
11:13 では、あなたがた異邦人に言います。わたしは異邦人のための使徒であるので、自分の務めを光栄に思います。
11:14 何とかして自分の同胞にねたみを起こさせ、その幾人かでも救いたいのです。
11:15 もし彼らの捨てられることが、世界の和解となるならば、彼らが受け入れられることは、死者の中からの命でなくて何でしょう。
11:16 麦の初穂が聖なるものであれば、練り粉全体もそうであり、根が聖なるものであれば、枝もそうです。
11:17 しかし、ある枝が折り取られ、野生のオリーブであるあなたが、その代わりに接ぎ木され、根から豊かな養分を受けるようになったからといって、
11:18 折り取られた枝に対して誇ってはなりません。誇ったところで、あなたが根を支えているのではなく、根があなたを支えているのです。
11:19 すると、あなたは、「枝が折り取られたのは、わたしが接ぎ木されるためだった」と言うでしょう。
11:20 そのとおりです。ユダヤ人は、不信仰のために折り取られましたが、あなたは信仰によって立っています。思い上がってはなりません。むしろ恐れなさい。
11:21 神は、自然に生えた枝を容赦されなかったとすれば、恐らくあなたをも容赦されないでしょう。
11:22 だから、神の慈しみと厳しさを考えなさい。倒れた者たちに対しては厳しさがあり、神の慈しみにとどまるかぎり、あなたに対しては慈しみがあるのです。もしとどまらないなら、あなたも切り取られるでしょう。
11:23 彼らも、不信仰にとどまらないならば、接ぎ木されるでしょう。神は、彼らを再び接ぎ木することがおできになるのです。
11:24 もしあなたが、もともと野生であるオリーブの木から切り取られ、元の性質に反して、栽培されているオリーブの木に接ぎ木されたとすれば、まして、元からこのオリーブの木に付いていた枝は、どれほどたやすく元の木に接ぎ木されることでしょう。

ユダヤ人たちがキリストを退け、キリストを信じる者たちを迫害した結果、異邦人へと福音の宣教が広がって行った。
しかし、だからと言って、ユダヤ人に対する神の憐れみが消えてしまったというのではなく、今も変わらず、妬むほどに愛しているということであろう。
そして、ユダヤ人らに代わって救いの恵みに先に与った異邦人は、そのことを忘れず、彼らのおかげで自分たちも救いの恵みに与ることができたという事実を覚えておく必要があるということであろう。
たとえば、自分を救いに導いてくれた人が、今は教会を離れていたりするといった場合、その人が完全に救いからもれてしまっているというわけではなく、神のもとに立ち返るならば、いつでもまた元通りに神の祝福を受ける者として受け入れてもらえるということであろう。
神は情け深く、憐れみ深いお方である。
人間のように、一度、関係がこじれてしまったら、もう二度と修復できないような弱さや愚かさとは違い、大いなる愛のもとで、悔い改める者を受け入れてくれる。
それなら、死ぬ直前に一瞬だけ悔い改めれば良いではないかと考える者もいるかもしれないが、それまでの間は、ずっと不安と恐怖におののく日々を過ごさなければならないだけであり、あえてそのような選択をする必要もない。
神の救いの約束を信じる者ならば、いつでも神のみもとに立ち返るべきであるし、今がその時であろう。

2コリント6:1 わたしたちはまた、神の協力者としてあなたがたに勧めます。神からいただいた恵みを無駄にしてはいけません。
6:2 なぜなら、「恵みの時に、わたしはあなたの願いを聞き入れた。救いの日に、わたしはあなたを助けた」と神は言っておられるからです。今や、恵みの時、今こそ、救いの日。

この喜びに、まずは我々が生きる事である。
そして、それを見ている人たちに「ねたみを起こさせ(11節)」神のみもとに立ち返ることができるよう、祈り、待ち続けていきたいものである。

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