ローマ 1:8 まず初めに、イエス・キリストを通して、あなたがた一同についてわたしの神に感謝します。あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられているからです。
1:9 わたしは、御子の福音を宣べ伝えながら心から神に仕えています。その神が証ししてくださることですが、わたしは、祈るときにはいつもあなたがたのことを思い起こし、
1:10 何とかしていつかは神の御心によってあなたがたのところへ行ける機会があるように、願っています。
1:11 あなたがたにぜひ会いたいのは、”霊”の賜物をいくらかでも分け与えて、力になりたいからです。
1:12 あなたがたのところで、あなたがたとわたしが互いに持っている信仰によって、励まし合いたいのです。
1:13 兄弟たち、ぜひ知ってもらいたい。ほかの異邦人のところと同じく、あなたがたのところでも何か実りを得たいと望んで、何回もそちらに行こうと企てながら、今日まで妨げられているのです。
1:14 わたしは、ギリシア人にも未開の人にも、知恵のある人にもない人にも、果たすべき責任があります。
1:15 それで、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を告げ知らせたいのです。
1:16 わたしは福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。
1:17 福音には、神の義が啓示されていますが、それは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。「正しい者は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。

パウロが伝えようとしている福音の言葉は、信仰による神の義と表現され、それはすなわち、救いに必要なことは全て神の側で成し遂げられ、我々は、ただその恵みにあずかるだけというものであり、それ故に、世界中のどんな人にも受けることのできる約束であると言えるのである。
そして、パウロは、それを伝える責務が自分にはあると考えていた。
かつて信仰者を迫害していたからかもしれないが、それよりも、キリストの十字架と復活の御業によって示された神の愛の御業が、圧倒的に彼を支配していたからなのであろう。
支配というと印象が悪いかもしれないが、それは「恵みの支配」である。
恵みによって満たされ、動かされるのなら、それは喜ばしいことであるし、パウロのように率先して応じたくなるようなことなのであろう。
そんな「恵みの支配」のもとに私たちも置かれていることを「信仰」をもって受け止め、神の義とされた者として、この日も歩めますように。

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