ローマ 1:1 キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び出され、召されて使徒となったパウロから、――
1:2 この福音は、神が既に聖書の中で預言者を通して約束されたもので、
1:3 御子に関するものです。御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、
1:4 聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって力ある神の子と定められたのです。この方が、わたしたちの主イエス・キリストです。
1:5 わたしたちはこの方により、その御名を広めてすべての異邦人を信仰による従順へと導くために、恵みを受けて使徒とされました。
1:6 この異邦人の中に、イエス・キリストのものとなるように召されたあなたがたもいるのです。――
1:7 神に愛され、召されて聖なる者となったローマの人たち一同へ。わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。

パウロの伝える福音(良き知らせ)の言葉は、聖書に預言されていたキリストについてのことであり、肉によればダビデの子孫として生まれ、霊によれば死者の復活によって力ある神の子とされたお方について語られている。
もしこれがダビデの子孫だけで終わっていたなら、十字架に殺されたキリストはメシアとしては失敗であり、今もなお、メシアを待ち望むユダヤの人たちと同じ考えとなってしまう。
しかし、キリストは十字架の死を打ち破り、よみがえられて、永遠の命を示されたのである。
だからこそ、死を超えた永遠の命の約束が我々にとっても「福音」となるはずなのである。
それは、イスラエルの王国を建て上げるだけの王の再来といった限定的なメシアではなく、全ての異邦人にとってもまことの救い主となるお方である。
パウロはそのために召され、異邦人に福音を宣べ伝える器として用いられたのである。
偏狭なナショナリズムではない、全ての人間にとって真の福音となる救いの言葉を、今日私たちが出会う一人一人にも届けていくことができますように。

Write a comment:

Your email address will not be published.