1ペテロ 4:12 愛する人たち、あなたがたを試みるために身にふりかかる火のような試練を、何か思いがけないことが生じたかのように、驚き怪しんではなりません。
4:13 むしろ、キリストの苦しみにあずかればあずかるほど喜びなさい。それは、キリストの栄光が現れるときにも、喜びに満ちあふれるためです。
4:14 あなたがたはキリストの名のために非難されるなら、幸いです。栄光の霊、すなわち神の霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです。
4:15 あなたがたのうちだれも、人殺し、泥棒、悪者、あるいは、他人に干渉する者として、苦しみを受けることがないようにしなさい。
4:16 しかし、キリスト者として苦しみを受けるのなら、決して恥じてはなりません。むしろ、キリスト者の名で呼ばれることで、神をあがめなさい。
4:17 今こそ、神の家から裁きが始まる時です。わたしたちがまず裁きを受けるのだとすれば、神の福音に従わない者たちの行く末は、いったい、どんなものになるだろうか。
4:18 「正しい人がやっと救われるのなら、不信心な人や罪深い人はどうなるのか」と言われているとおりです。
4:19 だから、神の御心によって苦しみを受ける人は、善い行いをし続けて、真実であられる創造主に自分の魂をゆだねなさい。

ここでは、試練が襲ってきても、それを思いがけないことが生じたかのように驚き怪しむのではなく、むしろ、キリストの苦しみに与ることができると考えて喜ぶように語られている。
おおよそ、試練を喜ばしいと思う人はいないだろう。
しかし、キリストが現れる時には、苦しんだ分だけ、受ける喜びも大きくなるであろうことが述べられているのである。
もっとも、それは、悪いことをして自ら招くものとは違う。
キリストのために、キリスト者として受ける試練であることが大切である。
神の御心に適う苦しみを受ける人、それはキリストの働きに近いものであり、キリストと共にあることを覚えたい。

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