1ペテロ 2:1 だから、悪意、偽り、偽善、ねたみ、悪口をみな捨て去って、
2:2 生まれたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。これを飲んで成長し、救われるようになるためです。
2:3 あなたがたは、主が恵み深い方だということを味わいました。
2:4 この主のもとに来なさい。主は、人々からは見捨てられたのですが、神にとっては選ばれた、尊い、生きた石なのです。
2:5 あなたがた自身も生きた石として用いられ、霊的な家に造り上げられるようにしなさい。そして聖なる祭司となって神に喜ばれる霊的ないけにえを、イエス・キリストを通して献げなさい。
2:6 聖書にこう書いてあるからです。「見よ、わたしは、選ばれた尊いかなめ石を、シオンに置く。これを信じる者は、決して失望することはない。」
2:7 従って、この石は、信じているあなたがたには掛けがえのないものですが、信じない者たちにとっては、「家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった」のであり、
2:8 また、「つまずきの石、妨げの岩」なのです。彼らは御言葉を信じないのでつまずくのですが、実は、そうなるように以前から定められているのです。
2:9 しかし、あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。それは、あなたがたを暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業を、あなたがたが広く伝えるためなのです。
2:10 あなたがたは、「かつては神の民ではなかったが、今は神の民であり、憐れみを受けなかったが、今は憐れみを受けている」のです。

イエス様のことは、信じない人にとっては、全く意味のない、まさに「石」であり、家を建てる者たちでさえ不要であると判断し捨てられたような石であったのかもしれない。
神の国をこの世界に告げ知らせる目的で選ばれたイスラエルの人たちの手によって十字架にはりつけにされたことがそのことを物語っている。
しかし、そのイスラエルの民に見捨てられたイエス様が、全ての人の罪の償いのために尊い命を捧げられたことによって、救いを成就し、神の国を完成させられたのである。
このことは、何の力も約束も無かったような者でさえ、神の国へと招かれることを可能としてくださったのであり、それはすべて、神の憐れみによるもの。
私たちは、このような神の憐れみによって救いの約束に結ばれた者となったのである。
大切なことは、神の憐れみとみ言葉の約束である。
そのことを覚えて、この日も幸いな一日を過ごしていきたいものである。

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