詩篇 67:1 【指揮者によって。伴奏付き。賛歌。歌。】
67:2 神がわたしたちを憐れみ、祝福し 御顔の輝きを わたしたちに向けてくださいますように〔セラ
67:3 あなたの道をこの地が知り 御救いをすべての民が知るために。
67:4 神よ、すべての民が あなたに感謝をささげますように。すべての民が、こぞって あなたに感謝をささげますように。
67:5 諸国の民が喜び祝い、喜び歌いますように あなたがすべての民を公平に裁き この地において諸国の民を導かれることを。〔セラ
67:6 神よ、すべての民が あなたに感謝をささげますように。すべての民が、こぞって あなたに感謝をささげますように。
67:7 大地は作物を実らせました。神、わたしたちの神が わたしたちを祝福してくださいますように。
67:8 神がわたしたちを祝福してくださいますように。地の果てに至るまで すべてのものが神を畏れ敬いますように。
典型的なパラレリズム(並行法)が用いられた詩篇であり、同じフレーズが二度繰り返されたり、同じような内容が少し表現を変えながら語られていたりする。
内容としては、すべての民が神の救いを知り、神に感謝をささげるようになることを祈るものであるが、それがなかなか難しいことであるけれど、神の願われていることでもある。
興味深いのは、最初「神がわたしたちを憐れみ」と始まって、途中「すべての民が神のみ救いを知るように」願い、最後には、再び「神がわたしたちを祝福してくださいますように」と祈られていることである。
当然、この最後の「わたしたち」の中には「すべての民」も含まれているだろう。
そう考えると、この詩篇の中に、神を信じる者の群れがどんどん増え広がって行き、最終的には、文字通り、すべての民がそこに含まれていくようになるであろうことが歌われているとも読み取ることができる。
むしろそうではなく「私たちを憐れんでください」と祈る時、そこに最初から「すべての民」を含むべきなのだろう。
考え方や価値観、民族や宗教、様々な違いを乗り越えて、人はみな同じ人類であり、神が愛された人々であるということを覚えつつ、「神よわたしたちを憐れんでください」と祈るものでありたいものである。