ヘブル 7:20 また、これは誓いによらないで行われたのではありません。レビの系統の祭司たちは、誓いによらないで祭司になっているのですが、
7:21 この方は、誓いによって祭司となられたのです。神はこの方に対してこう言われました。「主はこう誓われ、その御心を変えられることはない。『あなたこそ、永遠に祭司である。』」
7:22 このようにして、イエスはいっそう優れた契約の保証となられたのです。
7:23 また、レビの系統の祭司たちの場合には、死というものがあるので、務めをいつまでも続けることができず、多くの人たちが祭司に任命されました。
7:24 しかし、イエスは永遠に生きているので、変わることのない祭司職を持っておられるのです。
7:25 それでまた、この方は常に生きていて、人々のために執り成しておられるので、御自分を通して神に近づく人たちを、完全に救うことがおできになります。
7:26 このように聖であり、罪なく、汚れなく、罪人から離され、もろもろの天よりも高くされている大祭司こそ、わたしたちにとって必要な方なのです。
7:27 この方は、ほかの大祭司たちのように、まず自分の罪のため、次に民の罪のために毎日いけにえを献げる必要はありません。というのは、このいけにえはただ一度、御自身を献げることによって、成し遂げられたからです。
7:28 律法は弱さを持った人間を大祭司に任命しますが、律法の後になされた誓いの御言葉は、永遠に完全な者とされておられる御子を大祭司としたのです。

レビ系の祭司は、肉の弱さを持つ人間を律法によって任命するが、イエス様は、永遠に生きていて、聖であり、罪も汚れもなく、もろもろの天よりも高くされた完全なるお方、神の御子を、神ご自身の誓いによって任命されたと語られている。
これらの違いは明確であり、イエス様が永遠であり、完全な大祭司であられることが語られている。
そして、その根拠ともなるのが、イエス様の十字架の死による贖いと、その犠牲によるとりなしであろう。
イエス様が自らの命を犠牲にしてまで、私たちの救いのためにとりなして下さったのである。
なんとももったいないような気もするが、これほどまでに愛され、確かな救いの約束を頂いているのである。
それ故に、私たちは、安心して神に近づくことができるし、神に祈ることもできる。
これは本当は凄いことなのだろう。
いつも安易に祈っているけれども、祈ることのできる幸いを覚えながら、感謝して祈り続けていく者でありたい。

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