ヘブル 5:11 このことについては、話すことがたくさんあるのですが、あなたがたの耳が鈍くなっているので、容易に説明できません。
5:12 実際、あなたがたは今ではもう教師となっているはずなのに、再びだれかに神の言葉の初歩を教えてもらわねばならず、また、固い食物の代わりに、乳を必要とする始末だからです。
5:13 乳を飲んでいる者はだれでも、幼子ですから、義の言葉を理解できません。
5:14 固い食物は、善悪を見分ける感覚を経験によって訓練された、一人前の大人のためのものです。
6:1 -2だからわたしたちは、死んだ行いの悔い改め、神への信仰、種々の洗礼についての教え、手を置く儀式、死者の復活、永遠の審判などの基本的な教えを学び直すようなことはせず、キリストの教えの初歩を離れて、成熟を目指して進みましょう。
6:3 神がお許しになるなら、そうすることにしましょう。
6:4 一度光に照らされ、天からの賜物を味わい、聖霊にあずかるようになり、
6:5 神のすばらしい言葉と来るべき世の力とを体験しながら、
6:6 その後に堕落した者の場合には、再び悔い改めに立ち帰らせることはできません。神の子を自分の手で改めて十字架につけ、侮辱する者だからです。
6:7 土地は、度々その上に降る雨を吸い込んで、耕す人々に役立つ農作物をもたらすなら、神の祝福を受けます。
6:8 しかし、茨やあざみを生えさせると、役に立たなくなり、やがて呪われ、ついには焼かれてしまいます。
6:9 しかし、愛する人たち、こんなふうに話してはいても、わたしたちはあなたがたについて、もっと良いこと、救いにかかわることがあると確信しています。
6:10 神は不義な方ではないので、あなたがたの働きや、あなたがたが聖なる者たちに以前も今も仕えることによって、神の名のために示したあの愛をお忘れになるようなことはありません。
6:11 わたしたちは、あなたがたおのおのが最後まで希望を持ち続けるために、同じ熱心さを示してもらいたいと思います。
6:12 あなたがたが怠け者とならず、信仰と忍耐とによって、約束されたものを受け継ぐ人たちを見倣う者となってほしいのです。
信仰に導かれ、聖書の基本的な教理も学んだ人は、そこから次の段階へと進んで行けるよう、信仰者としての成長が求められている。
それなのに、多くの人は、神の言葉の初歩的なところで止まったままか、あるいは、それらのことすらすっかり忘れてしまって、世の歩みと何ら変わらない生き方へと逆戻りしてしまっていることすら見られるのかもしれない。
ここに書かれていることは、警鐘と共に、推奨である。
イエス様は、何度でも赦して下さるからと言って、何度も同じことを繰り返しているようでは、それこそ、イエス様の尊い犠牲に泥を塗るようなものであるし、キリストの十字架に二度目以降は存在しない。
ただ一度、イエス様の命が捧げられることで、私たちの全ての罪も赦していただいたのである。
この大きな恵みに応えて生きること、それがせめてもの我々にできることであろう。
りっぱな働きでなくていい。
イエス様ほどでなくてもいい。
せめて、神の愛の御業をいつも心に留め、神の御心がどこにあるのかを探りつつ、希望を持ち続けて歩む者とならせていただきたいものである。