マタイ 16:13 イエスは、フィリポ・カイサリア地方に行ったとき、弟子たちに、「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。
16:14 弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、『エリヤだ』と言う人もいます。ほかに、『エレミヤだ』とか、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」
16:15 イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」
16:16 シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。
16:17 すると、イエスはお答えになった。「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。
16:18 わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。
16:19 わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」
16:20 それから、イエスは、御自分がメシアであることをだれにも話さないように、と弟子たちに命じられた。
この時期、上半期の信徒会を開催する教会もあることと思う。
行事の評価や今後の予定、予算や決算など、様々なことを話し合う。
しかし、大切なことは、教会とは信仰を告白する群れである、ということを覚えたい。
行事やお金の話も必要ではあるが、一人一人がイエスは私の救い主であるということを告白し、確認しなおすこと、そんなひと時が年に何回かあっても良いのかなあと思う。
もちろん、毎週の礼拝で、使徒信条などを告白し、信仰を告白してはいるが、いつの間にかお題目のごとく口にしているだけなら、あまり意味はないが、しっかりと告白している内容を吟味し、確認し、その信仰の上に信徒一人一人が生き、教会が成り立っていることを覚えたいものである。
「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」
「あなたはメシア、生ける神の子です」
この問答がイエス様とペテロのものであると同時に、イエス様と私のものであることを覚えたい。