エステル 9:20 モルデカイはこれらの出来事を書き記し、クセルクセス王のすべての州にいる全ユダヤ人に、近くにいる者にも遠くにいる者にも文書を送り、
9:21 毎年アダルの月の十四日と十五日を祝うように定めた。
9:22 ユダヤ人が敵をなくして安らぎを得た日として、悩みが喜びに、嘆きが祭りに変わった月として、この月の両日を宴会と祝祭の日とし、贈り物を交換し、貧しい人に施しをすることとした。
9:23 ユダヤ人は既に実行し始めていたことでもあり、またモルデカイが書き送ってきたこのことを受け入れた。
9:24 すなわち、「全ユダヤ人の敵アガグ人ハメダタの子ハマンはユダヤ人絶滅をたくらみ、プルと呼ばれるくじを投げ、ユダヤ人を滅ぼし去ろうとした。
9:25 ところが、このことが王に知らされると、王は文書をもって、ハマンがユダヤ人に対してたくらんだ悪いたくらみはハマン自身の頭上にふりかかり、彼は息子らと共に木につるされるよう命じられた。
9:26 それゆえ、この両日はプルにちなんで、プリムと呼ばれる。」それゆえ、その書簡の全文に従って、またこの件に関して彼らの見たこと、彼らに起こったことに基づいて、
9:27 ユダヤ人は自分たちも、その子孫も、また自分たちに同調するすべての人も同様に毎年この両日を記載されているとおり、またその日付のとおりに、怠りなく祝うことを制定し、ならわしとした。
9:28 こうして、この両日はどの世代にも、どの部族でも、どの州でも、どの町でも記念され、祝われてきた。このプリムの祭りは、ユダヤ人の中から失せてはならないものであり、その記念は子孫も決して絶やしてはならないものである。
9:29 さて、王妃となったアビハイルの娘エステルは、ユダヤ人モルデカイと共にプリムに関するこの第二の書簡をすべての権限をもってしたため、確認した。
9:30 クセルクセスの王国百二十七州にいるすべてのユダヤ人に、平和と真実の言葉をもって文書が送られ、
9:31 こうしてユダヤ人モルデカイが王妃エステルと共に定めたとおり、また彼らが自分たちとその子孫のために断食と嘆きに関して定めたとおり、プリムの祭りの日付が定められた。
9:32 エステルの言葉によってプリムに関する事項は定められ、文書に記録された。
10:1 クセルクセス王は全国と海の島々に税を課した。
10:2 王が権威をもって勇敢に遂行したすべての事業と、またその王が高めてモルデカイに与えた栄誉の詳細は、『メディアとペルシアの王の年代記』に書き記されている。
10:3 ユダヤ人モルデカイはクセルクセス王に次ぐ地位についたからである。ユダヤ人には仰がれ、多くの兄弟たちには愛されて、彼はその民の幸福を追い求め、そのすべての子孫に平和を約束した。
エステルの時代にユダヤの民に起きた救いの出来事は、後の子孫にも伝えられるよう、プリムの祭りとして毎年お祝いされることとなる。
かつて、イスラエルの民が、エジプトから脱出したときもそうであったように、彼らは、神が自分たちを救って下さったという事実を思い起こし、それ故に、今、自分たちが生きていられることを祝い、喜ぶのである。
我々はユダヤの民ではないし、こうした祭りを祝うことは行うわけではないが、毎週日曜日に教会で行われる礼拝の意味は、こうした祭りと同様、主なる神様が私たちを救って下さったことを思い起こし、記念し、感謝し、祝い、喜ぶのである。
礼拝とは、そのような場である。
単に、願い事を祈ったりするだけの場ではなく、神が、どのようにして私たちを救って下さったのかということを覚え、喜び祝う時なのである。
だから、毎週の礼拝をおろそかにしてはいけないし、むしろ、積極的に参加すべきであろう。
礼拝に集わない理由を作ることは簡単だし、礼拝に集うことをおろそかにすることは、自ら、神の救いから遠ざかろうとする行為に他ならない。
神様の尊い恵みによって救われた方々が、礼拝を喜び、楽しみ、共にお祝いすることを大切にしていかれることを願うばかりである。