ガラテヤ 3:21 それでは、律法は神の約束に反するものなのでしょうか。決してそうではない。万一、人を生かすことができる律法が与えられたとするなら、確かに人は律法によって義とされたでしょう。
3:22 しかし、聖書はすべてのものを罪の支配下に閉じ込めたのです。それは、神の約束が、イエス・キリストへの信仰によって、信じる人々に与えられるようになるためでした。
3:23 信仰が現れる前には、わたしたちは律法の下で監視され、この信仰が啓示されるようになるまで閉じ込められていました。
3:24 こうして律法は、わたしたちをキリストのもとへ導く養育係となったのです。わたしたちが信仰によって義とされるためです。
3:25 しかし、信仰が現れたので、もはや、わたしたちはこのような養育係の下にはいません。
3:26 あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。
3:27 洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。
3:28 そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。
3:29 あなたがたは、もしキリストのものだとするなら、とりもなおさず、アブラハムの子孫であり、約束による相続人です。

律法の言葉は、私たちをキリストへと導く養育係である。
まさにその通りである。
ただそれは、律法の語る事柄を果たし、聖なる者とされてキリストのもとへ招かれる、というのではない。
むしろ逆で、律法の求める事柄を全て果たせない自分の罪深さに絶望し、救いを求めてキリストのもとへ頼る、というものである。
それゆえ、我々には信仰の道が開かれている。
キリストが私の代わりに全ての律法の求める事柄を果たし、律法を果たせない者の受ける裁きをも完了して下さった、そのことを信じる信仰によるもの。

私たちは、そのような信仰の恵みを受ける相続者として召されているのである。
だから、ユダヤ人もギリシャ人も奴隷も男も女もなく、全ての人間が等しくあずかることのできる救いの恵みなのである。

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