ユダ 1:8 しかし、同じようにこの夢想家たちも、身を汚し、権威を認めようとはせず、栄光ある者たちをあざけるのです。
1:9 大天使ミカエルは、モーセの遺体のことで悪魔と言い争ったとき、あえてののしって相手を裁こうとはせず、「主がお前を懲らしめてくださるように」と言いました。
1:10 この夢想家たちは、知らないことをののしり、分別のない動物のように、本能的に知っている事柄によって自滅します。
1:11 不幸な者たちです。彼らは「カインの道」をたどり、金もうけのために「バラムの迷い」に陥り、「コラの反逆」によって滅んでしまうのです。
1:12 こういう者たちは、厚かましく食事に割り込み、わが身を養い、あなたがたの親ぼくの食事を汚すしみ、風に追われて雨を降らさぬ雲、実らず根こぎにされて枯れ果ててしまった晩秋の木、
1:13 わが身の恥を泡に吹き出す海の荒波、永遠に暗闇が待ちもうける迷い星です。
1:14 アダムから数えて七代目に当たるエノクも、彼らについてこう預言しました。「見よ、主は数知れない聖なる者たちを引き連れて来られる。
1:15 それは、すべての人を裁くため、また不信心な生き方をした者たちのすべての不信心な行い、および、不信心な罪人が主に対して口にしたすべての暴言について皆を責めるためである。」
1:16 こういう者たちは、自分の運命について不平不満を鳴らし、欲望のままにふるまい、大言壮語し、利益のために人にこびへつらいます。
不信人な人たちは、おおよそ自分のことを棚に上げて、他人に対して批判の言葉を軽々しく浴びせる。
16節にもある通り、そういう人たちは、自分の運命について不平不満を鳴らし、欲望のままにふるまい、大言壮語し、己の利益のために人にこびへつらうような生き方をしているのだろう。
今の時代がこうなったのは、親の世代が悪いとか、社会の指導者たちが悪いと言うが、自分では何も動こうとはしなかったり、とにかく自分の欲しい物は、どのようにしてでも手に入れなければ気が済まず、後先考えずに行動する。
また、口では大きな事を言うが、思いついたことを他人にやらせようとするだけで、自分から行動することはない。極めて無責任なふるまいを行う。
なぜそうなるのかと言えば、自分が楽をしたいからであり、自分は傷つきたくないからであろう。
人の罪の姿とは、おおよそ、そのようなものである。
だからと言って、そのような人を見て、同じように批判していては、同類となってしまうだろう。
そこは大天使ミカエルのように、裁きを自分で下すような仕方で振舞うのではなく、主に委ねることが好ましいのであろう。
あるいは「主が正しい裁きをあなたに下されることでしょう」などと言った言葉を言わなくても、主はいつか必ずその人に業に対する報いをもたらされるのだから、それさえも言う必要はない。
我々のなすべきことは、自分自身の罪と向き合って、その罪のためにイエス様が十字架で死なれたことを思うだけである。
他人のことは他人の責任である。
人の裁きにまで人間には顕現がないことを覚え、主に委ねることでとどめておきたいものである。