マタイ 21:28 「ところで、あなたたちはどう思うか。ある人に息子が二人いたが、彼は兄のところへ行き、『子よ、今日、ぶどう園へ行って働きなさい』と言った。
21:29 兄は『いやです』と答えたが、後で考え直して出かけた。
21:30 弟のところへも行って、同じことを言うと、弟は『お父さん、承知しました』と答えたが、出かけなかった。
21:31 この二人のうち、どちらが父親の望みどおりにしたか。」彼らが「兄の方です」と言うと、イエスは言われた。「はっきり言っておく。徴税人や娼婦たちの方が、あなたたちより先に神の国に入るだろう。
21:32 なぜなら、ヨハネが来て義の道を示したのに、あなたたちは彼を信ぜず、徴税人や娼婦たちは信じたからだ。あなたたちはそれを見ても、後で考え直して彼を信じようとしなかった。」
お世辞が苦手な方がいる。
一方で、可能な限り、相手の喜んでくれそうな言葉を探し、上手に言葉を用いられる方もいる。
お世辞の苦手な方にとっては、言葉巧みな人の言葉が信用できないらしく、なかなか上手くいかない。
お互い、相手と親しくなりたいという願いは持っているのに、なぜか空回りしていく。
長年、人生を歩んできた人たちにとって、なかなか自分の生き方を変えるのは難しいし、ほぼ困難なことなのであろう。
ただ、お互いが、相手が変わることを期待している間は、何も変わらない。
相手を変えることはできないが、自分を変える事ならできる。
ああは言ったものの、後で考え直して、良いと思われる行動をとることができるなら、その人は幸いではないだろうか。
一度口にした言葉を意固地に守ろうするより、よっぽど大人の対応と言える。
良い大人なのだから、いつまでも意固地のままでいないで、考え直せるところは素直に改め、相手の主張にも丁寧に耳を傾け、変えられるところは勇気をもって変えていけるものでありたい。