ヨハネ 8:31 イエスは、御自分を信じたユダヤ人たちに言われた。「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。
8:32 あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」
8:33 すると、彼らは言った。「わたしたちはアブラハムの子孫です。今までだれかの奴隷になったことはありません。『あなたたちは自由になる』とどうして言われるのですか。」
8:34 イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。罪を犯す者はだれでも罪の奴隷である。
8:35 奴隷は家にいつまでもいるわけにはいかないが、子はいつまでもいる。
8:36 だから、もし子があなたたちを自由にすれば、あなたたちは本当に自由になる。
8:37 あなたたちがアブラハムの子孫だということは、分かっている。だが、あなたたちはわたしを殺そうとしている。わたしの言葉を受け入れないからである。
8:38 わたしは父のもとで見たことを話している。ところが、あなたたちは父から聞いたことを行っている。」

クリスチャンは、酒もタバコもできないから不自由だと思われる方がいるかもしれない。
そして、イエス様は「わたしの言葉にとどまるならば、あなた方は真理を知り、自由になる」と仰せられる。
「とどまる」ことがなぜ「自由」となるのだろうか。
案外、我々は、自分で好きなようにすることが自由だと思いがちだが、実は、様々な欲望や誘惑の虜になっているだけで、そこから解放されることが真の自由である、ということをイエス様は語っておられるのである。
クリスチャンにとっても、なぜこんなことをしなければならないのか、と思う事も全くないわけではないかもしれない。
けれど、イエス様が仰せられた言葉に従っているなら、そこには本当の自由があり、幸いがある。
死と滅びをもたらす欲望や誘惑に囚われるのではなく、命に導くイエス様に従って行くならば、その行く先には、必ず真の命と幸いがあるからである。
本物だからこそ、そこに真理があるし、間違いなく命を与えて下さる約束だから、平安があり、だから、自由と言えるのだろう。
恐れや不安から解放されたところに、本当の自由はある。

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