イザヤ 14:24 万軍の主は誓って言われる。「わたしが計ることは必ず成りわたしが定めることは必ず実現する。
14:25 わたしの領土で、アッシリアを滅ぼしわたしの山々で彼らを踏みにじる。その軛は、わが民から取り去られその重荷は、肩からはずされる。」
14:26 これこそ、全世界に対して定められた計画すべての国に伸ばされた御手の業である。
14:27 万軍の主が定められれば誰がそれをとどめえよう。その御手が伸ばされれば誰が引き戻しえよう。
14:28 アハズ王の死んだ年のことである。この託宣が臨んだ。
14:29 「ペリシテの民よ、だれも喜んではならないお前を打った鞭が折られたからといって。蛇の根から蝮が出る。その子は炎のように飛び回る。」
14:30 乏しい者も、糧を得 貧しい者も、安らかに伏す。「わたしは、飢えによってお前の根を断ちお前の残りの者を殺す。
14:31 門よ、泣き叫べ、町よ、助けを求めよペリシテの民は、皆、おののけ北から、砂煙を上げて来る者があるからだ。その隊列から落伍する者はひとりもない。」
14:32 異国の使者たちに、何と答えるべきか。「シオンの基を据えられたのは主である。苦しむ民は、そこに身を寄せる」と答えよ。

主なる神は、アッシリヤを打ち、全ての国の民をその軛から解放する、と語られている。
確かに、歴史の中でそのようなことは起きたかもしれない。
しかし、全ての国の民がアッシリヤの支配下にあったわけではない。
アッシリアは一つの比喩であり、全ての人を共通に苦しめている罪や死の問題からの解放こそ、神の解放の御業に他ならない。
そして、その解放をもたらされるのは、国家の軍事力でもなければ、人の業でもない。
主なる神の恵みの業による。
もっとも、その恵みの業は、真の人となられたキリストの贖いの御業によるものであるため、全く人の業によるものではないとは言えない面もあるが、それでも、人間の力によるのではなく、人となられた神の子キリストの御業によるものであるということには違いない。
全ての苦しんでいる者は、この恵みの御業を成し遂げられた主のもとに身を寄せよ、と主は招いている。

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