イザヤ 12:1 その日には、あなたは言うであろう。「主よ、わたしはあなたに感謝します。あなたはわたしに向かって怒りを燃やされたがその怒りを翻し、わたしを慰められたからです。
12:2 見よ、わたしを救われる神。わたしは信頼して、恐れない。主こそわたしの力、わたしの歌わたしの救いとなってくださった。」
12:3 あなたたちは喜びのうちに救いの泉から水を汲む。
12:4 その日には、あなたたちは言うであろう。「主に感謝し、御名を呼べ。諸国の民に御業を示し気高い御名を告げ知らせよ。
12:5 主にほめ歌をうたえ。主は威厳を示された。全世界にその御業を示せ。
12:6 シオンに住む者よ叫び声をあげ、喜び歌え。イスラエルの聖なる方はあなたたちのただ中にいます大いなる方。」
かつて、神の怒りを受けるべきものであった自分が、その神によって慰めを受けると言う。
これは本当に驚くべきことで、素晴らしい喜びとなる。
なぜなら、人は、普通、嫌な事や苦痛なことから逃れる場合、他のことで慰めを得ようとするからである。
たとえば、仕事のうっ憤を晴らすのに、レジャーやお買い物と言った感じで、全く別のことで慰めを得ようとし、本当は、根本的な解決とはなっていない場合が多い。
しかし、ここで語られていることは、怒られていた神ご自身が慰めとなるという事実である。
神の中に、完全なる義と裁きがあり、完全なる愛と慰めがある。
このことを実現するため、神はご自身の命を捧げられたのである。
ここに、大いなる喜びの理由がある。
この喜びの知らせを届けていきたい。