イザヤ 10:20 その日には、イスラエルの残りの者とヤコブの家の逃れた者とは、再び自分たちを撃った敵に頼ることなく、イスラエルの聖なる方、主に真実をもって頼る。
10:21 残りの者が帰って来る。ヤコブの残りの者が、力ある神に。
10:22 あなたの民イスラエルが海の砂のようであっても、そのうちの残りの者だけが帰って来る。滅びは定められ、正義がみなぎる。
10:23 万軍の主なる神が、定められた滅びを全世界のただ中で行われるからだ。
10:24 それゆえ、万軍の主なる神はこう言われる。「シオンに住むわが民よ、アッシリアを恐れるな。たとえ、エジプトがしたように彼らがあなたを鞭で打ち、杖を振り上げても。
10:25 やがて、わたしの憤りの尽きるときが来る。わたしの怒りは彼らの滅びに向けられる。
10:26 万軍の主は、彼らに対して鞭を振るわれるかつて、オレブの岩でミディアン人を打たれたように。またエジプトでなされたように杖を海の上に伸ばされる。
10:27 その日が来ればあなたの肩から重荷は取り去られ首に置かれた軛は砕かれる。」
10:27 彼らはリンモンの前から上って
10:28 アヤトに着き、ミグロンを過ぎてミクマスに軍需品を配置した。
10:29 彼らは峠を越え、ゲバに露営した。ラマは震え、サウルのギブアは逃げ去った。
10:30 娘ガリムは叫び声をあげよ。ライシャは耳を傾け、アナトトは彼女に答えよ。
10:31 マドメナは逃げて行きゲビムの住民は避難した。
10:32 更に今日、彼らはノブに立ち娘シオンの山、エルサレムの丘に向かって進軍の手を振り上げる。
10:33 見よ、万軍の主なる神は斧をもって、枝を切り落とされる。そびえ立つ木も切り倒され、高い木も倒される。
10:34 主は森の茂みを鉄の斧で断ちレバノンの大木を切り倒される。
「残りのもの」という独特な表現で神の不思議な恵みの業が語られている。
普通、残り物と言えば、良いものを選び取ったあとの残りであったり、力のない者たちや取り残されたものたちといった意味で用いられることの多い言葉である。
しかし、神の裁きを受けた者たちを取り除いたあとの残りのものたちという意味では、逆に救いに選び取られた者たちという意味にもなるのである。
そんな「残りのもの」たちに、主なる神様は救いと平和を約束されるのである。
マタイ 11:25 そのとき、イエスはこう言われた。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。
11:26 そうです、父よ、これは御心に適うことでした。
11:27 すべてのことは、父からわたしに任せられています。父のほかに子を知る者はなく、子と、子が示そうと思う者のほかには、父を知る者はいません。
11:28 疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。
11:29 わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。
11:30 わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」
次の日曜日の日課のみ言葉である。
まさに、ここで語られていることにつながる内容であると言えるだろう。
弱いもの、疲れた者、病んだ者、重荷を負う者であることの故、キリストと出会い、救いに導かれる。
感謝なことである。