マタイ 17:14 一同が群衆のところへ行くと、ある人がイエスに近寄り、ひざまずいて、
17:15 言った。「主よ、息子を憐れんでください。てんかんでひどく苦しんでいます。度々火の中や水の中に倒れるのです。
17:16 お弟子たちのところに連れて来ましたが、治すことができませんでした。」
17:17 イエスはお答えになった。「なんと信仰のない、よこしまな時代なのか。いつまでわたしはあなたがたと共にいられようか。いつまで、あなたがたに我慢しなければならないのか。その子をここに、わたしのところに連れて来なさい。」
17:18 そして、イエスがお叱りになると、悪霊は出て行き、そのとき子供はいやされた。
17:19 弟子たちはひそかにイエスのところに来て、「なぜ、わたしたちは悪霊を追い出せなかったのでしょうか」と言った。
17:20 イエスは言われた。「信仰が薄いからだ。はっきり言っておく。もし、からし種一粒ほどの信仰があれば、この山に向かって、『ここから、あそこに移れ』と命じても、そのとおりになる。あなたがたにできないことは何もない。」
17:21 しかし、この種のものは、祈りと断食によらなければ出て行かない。

イエス様のもとに、てんかんの病に悩まされている息子を救ってもらおうと、一人の人がイエス様に助けを求めてやってきたが、イエス様は「いつまであなたがたと共にいられようか、いつまであなたがたに我慢しなければならないのか」と言われ、その子をお癒しになった。
イエス様のこの言葉は、もう長くイエス様に従っているなら、これくらいのことはできるようになって欲しいとのことであろう。
ただ、祈りと断食によって、病を癒したりすることは、そう簡単なことではない。
我々は相変わらずイエス様を我慢させているのかもしれない。
からし種一粒ほどの信仰さえあれば、山をも動かせるとイエス様は仰せられる。
なんと信仰の小さな者かと情けない思いになるけれども、だからこそ、イエス様に頼る者でありたい。

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