マタイ 7:7 「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。
7:8 だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。
7:9 あなたがたのだれが、パンを欲しがる自分の子供に、石を与えるだろうか。
7:10 魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか。
7:11 このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして、あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない。
7:12 だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。」

「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。」と語られている。
律法とは、もともと、私たちが罪人であることを認識し、キリストの救いへと目が開かれていくための働きをを担うものと言える。
しかし、ここでは、神が私たちに良いものを与えて下さったのだから、あなたがたも、神と同じように行動すべきである、という言い方で用いられている。
いわゆる、律法の第三の用法ということになるだろう。
そして、そのことを通して、私たちは高貴な神の御心を知り、なおかつ、完全にはできない自分を見るにつけ、キリストの神のみが完全なるお方であり、この方のすばらしや深い愛を知ることになるのだろう。
できるかどうかが重要なのではなく、神がそう歩まれたし、そう望んでおられるということを知ることが大切なのだろうと思う。

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