マタイ 7:1 「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。
7:2 あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる。
7:3 あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。
7:4 兄弟に向かって、『あなたの目からおが屑を取らせてください』と、どうして言えようか。自分の目に丸太があるではないか。
7:5 偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からおが屑を取り除くことができる。
7:6 神聖なものを犬に与えてはならず、また、真珠を豚に投げてはならない。それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたにかみついてくるだろう。」
他人の言っていること、やっていることが、正しくないとか、間違っているとか、言えるような人はいない、ということだろう。
その前に、まず自分がいかに罪深い人間であり、神の子キリストの尊い贖いによらなければ赦されないような者であったこと、そして、赦してもらった者であることを思うなら、簡単には他人を裁くことはできないはずである。
もし人が間違った生き方をしていると思うなら、それは、その人が求めているものが我々とは違うから、と考える方が良い。
求めているものが得られるのなら、それを求め続ければ良い。
けれど、仮にそれがいつの日か得られたとしても、それは永遠ではないことに気が付いた時、空しいものを追い求めていたことに気が付く時が来るだろう。
その時に立ち返れば、それもその人の人生なのだろう。
ただ、我々は、間違ったものを求めている人に神聖なもの、真珠を与えても、無駄にになることがあるということを覚え、本当に求めている人に届けることができるように努めていきたいものである。