マタイ 6:22 「体のともし火は目である。目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、
6:23 濁っていれば、全身が暗い。だから、あなたの中にある光が消えれば、その暗さはどれほどであろう。」
6:24 「だれも、二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」
神と富とは、そもそも種類の違うものである。
神は我々が仕えるお方、富は我々がそれを用いる側である。
富に支配されたような生き方をしていては、真実を見失っていくことになる。
何が重要であり、我々は何を用い、誰に仕えていくのか、しっかりと霊の目を見開き、見定めていくことが大切である。
なぜなら、富は我々を救ってはくれないからである。
富は私たちのために命を捨ててまで、愛してはくれないからである。