マタイ 26:14 そのとき、十二人の一人で、イスカリオテのユダという者が、祭司長たちのところへ行き、
26:15 「あの男をあなたたちに引き渡せば、幾らくれますか」と言った。そこで、彼らは銀貨三十枚を支払うことにした。
26:16 そのときから、ユダはイエスを引き渡そうと、良い機会をねらっていた。
26:17 除酵祭の第一日に、弟子たちがイエスのところに来て、「どこに、過越の食事をなさる用意をいたしましょうか」と言った。
26:18 イエスは言われた。「都のあの人のところに行ってこう言いなさい。『先生が、「わたしの時が近づいた。お宅で弟子たちと一緒に過越の食事をする」と言っています。』」
26:19 弟子たちは、イエスに命じられたとおりにして、過越の食事を準備した。
26:20 夕方になると、イエスは十二人と一緒に食事の席に着かれた。
26:21 一同が食事をしているとき、イエスは言われた。「はっきり言っておくが、あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。」
26:22 弟子たちは非常に心を痛めて、「主よ、まさかわたしのことでは」と代わる代わる言い始めた。
26:23 イエスはお答えになった。「わたしと一緒に手で鉢に食べ物を浸した者が、わたしを裏切る。
26:24 人の子は、聖書に書いてあるとおりに、去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった。」
26:25 イエスを裏切ろうとしていたユダが口をはさんで、「先生、まさかわたしのことでは」と言うと、イエスは言われた。「それはあなたの言ったことだ。」
ユダはイエス様を裏切ることを企て、祭司長たちのところへ行って、イエス様を引き渡せば幾らくれるかと尋ねている。
もしかしたら、彼が思っていたような金額ではなかったかもしれないし、金額が低ければあきらめていたかもしれない。
さりとて、イエス様を裏切ろうとして祭司長のところへ出かけている時点で、すでに裏切りの心が働いていたのであるから、金額が多かろうと少なかろうと、もはや動き出した彼の心を止めることはできなかっただろう。
罪の誘惑に惹かれて行く時は、そんなものである。
いったん動き出してしまえば、なかなか後戻りすることはできない。
けれども、途中でやめることはできたはずである。
この後、ユダもイエス様を売り渡したことを後悔して、銀貨三十枚を返そうとしているが、もっと早く悔い改めていればとは思う物の、彼の裏切りもまた必然であったことを思うとき、寂しい気もするが、彼の行動も含めて、すべての人の罪を背負っていかれたイエス様の十字架の御業の尊さを思うのである。