1テサロニケ 3:6 ところで、テモテがそちらからわたしたちのもとに今帰って来て、あなたがたの信仰と愛について、うれしい知らせを伝えてくれました。また、あなたがたがいつも好意をもってわたしたちを覚えていてくれること、更に、わたしたちがあなたがたにぜひ会いたいと望んでいるように、あなたがたもわたしたちにしきりに会いたがっていることを知らせてくれました。
3:7 それで、兄弟たち、わたしたちは、あらゆる困難と苦難に直面しながらも、あなたがたの信仰によって励まされました。
3:8 あなたがたが主にしっかりと結ばれているなら、今、わたしたちは生きていると言えるからです。
3:9 わたしたちは、神の御前で、あなたがたのことで喜びにあふれています。この大きな喜びに対して、どのような感謝を神にささげたらよいでしょうか。
3:10 顔を合わせて、あなたがたの信仰に必要なものを補いたいと、夜も昼も切に祈っています。
3:11 どうか、わたしたちの父である神御自身とわたしたちの主イエスとが、わたしたちにそちらへ行く道を開いてくださいますように。
3:12 どうか、主があなたがたを、お互いの愛とすべての人への愛とで、豊かに満ちあふれさせてくださいますように、わたしたちがあなたがたを愛しているように。
3:13 そして、わたしたちの主イエスが、御自身に属するすべての聖なる者たちと共に来られるとき、あなたがたの心を強め、わたしたちの父である神の御前で、聖なる、非のうちどころのない者としてくださるように、アーメン。
テサロニケに派遣されていたテモテが帰り、彼からの報告を受けたパウロは、大いに励まされている様子が伺える。
それは、パウロがテサロニケの信徒たちと会いたがっていたように、彼らも同じ思いをもっていたからであろう。
それどころか、彼らもまた、キリストの愛に支えられ、互いに愛し合う思いや、人々に使える愛の心が養われていたためであろう。
キリストの愛を知り、その愛に根差した人生を歩もうと思うものの、人は一人では弱く、いくら高貴な思いであっても、くじけてしまうこともある。
しかし、こうして、離れていても、同じキリストの体なる教会の一部分として、同じ思いになって歩んでいこうとしていることを知ると、それが大きな力にもなっていくものである。
都会を離れ、人口の少ない町や村で、異教徒に囲まれた環境の中で伝道を続けていくことは、困難も多いし、思いさえもくじけていってしまう。
けれど、離れていても、互いに励ましあい、祈りあい、支えあっていくことが充実していけば、どんなに小さな村で、どんなに独りぼっちであったとしても、聖なる者として、愛に根差した働きを続けていくことはできるのだろう。
まずは祈りあっていくことから始めたいものである。