ルカ 12:8 「言っておくが、だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、人の子も神の天使たちの前で、その人を自分の仲間であると言い表す。
12:9 しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、神の天使たちの前で知らないと言われる。
12:10 人の子の悪口を言う者は皆赦される。しかし、聖霊を冒涜する者は赦されない。
12:11 会堂や役人、権力者のところに連れて行かれたときは、何をどう言い訳しようか、何を言おうかなどと心配してはならない。
12:12 言うべきことは、聖霊がそのときに教えてくださる。」

証に関する事柄が述べられている。
証とは、イエス様にしていただいたことを通して、イエス様が真の救い主であるということを証明することであり、イエス様の証人としてイエス様が真の神であられると証言するということである。
だから、偽りの証言をしてはならない。
それは十戒にも定められている。
そして、知っているのに言わないということも偽りの証言に値する。
我々は知っていること、体験したことを証していくために救われ、そして、今ここにいる。
もちろん、いつ、どこで、誰にたいして、どのような形で、というのは、その人その人によって異なるし、ここで語られている通り、聖霊様の導きのもとで証されるべきものであろう。
何が何でも、やみくもに話せば良いというものでもない。
コリントの手紙には、秩序に関することも述べられている。
だから、いうべき時に、いうべきことを、私らしく述べられたなら、それでよい。
その時が与えられることを楽しみにしつつ、心静かに待ち望むものでありたい。

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