列王下 6:8 アラムの王がイスラエルと戦っていたときのことである。王は家臣を集めて協議し、「これこれのところに陣を張ろう」と言った。
6:9 しかし、神の人はイスラエルの王のもとに人を遣わし、「その場所を通らないように注意せよ。アラム軍がそこに下って来ている」と言わせた。
6:10 イスラエルの王は神の人が知らせたところに人を送った。エリシャが警告したので、王はそこを警戒するようになった。これは一度や二度のことではなかった。
6:11 アラムの王の心はこの事によって荒れ狂い、家臣たちを呼んで、「我々の中のだれがイスラエルの王と通じているのか、わたしに告げなさい」と言った。
6:12 家臣の一人が答えた。「だれも通じていません。わが主君、王よ、イスラエルには預言者エリシャがいて、あなたが寝室で話す言葉までイスラエルの王に知らせているのです。」
6:13 アラムの王は言った。「行って、彼がどこにいるのか、見て来るのだ。わたしは彼を捕らえに人を送る。」こうして王に、「彼はドタンにいる」という知らせがもたらされた。
6:14 王は、軍馬、戦車、それに大軍をそこに差し向けた。彼らは夜中に到着し、その町を包囲した。
6:15 神の人の召し使いが朝早く起きて外に出てみると、軍馬や戦車を持った軍隊が町を包囲していた。従者は言った。「ああ、御主人よ、どうすればいいのですか。」
6:16 するとエリシャは、「恐れてはならない。わたしたちと共にいる者の方が、彼らと共にいる者より多い」と言って、
6:17 主に祈り、「主よ、彼の目を開いて見えるようにしてください」と願った。主が従者の目を開かれたので、彼は火の馬と戦車がエリシャを囲んで山に満ちているのを見た。
6:18 アラム軍が攻め下って来たので、エリシャが主に祈って、「この異邦の民を打って目をくらましてください」と言うと、主はエリシャの言葉どおり彼らを打って目をくらまされた。
6:19 エリシャは彼らに、「これはあなたたちの行く道ではない。これはあなたたちの求める町ではない。わたしについて来なさい。あなたたちの捜している人のところへわたしが連れて行ってあげよう」と言って、彼らをサマリアに連れて行った。
6:20 彼らがサマリアに着くと、エリシャは、「主よ、彼らの目を開いて見えるようにしてください」と言った。主が彼らの目を開かれ、彼らは見えるようになったが、見たのは自分たちがサマリアの真ん中にいるということであった。
6:21 イスラエルの王は彼らを見て、エリシャに、「わたしの父よ、わたしが打ち殺しましょうか、打ち殺しましょうか」と言ったが、
6:22 エリシャは答えた。「打ち殺してはならない。あなたは捕虜とした者を剣と弓で打ち殺すのか。彼らにパンと水を与えて食事をさせ、彼らの主君のもとに行かせなさい。」
6:23 そこで王は彼らのために大宴会を催した。彼らは食べて飲んだ後、自分たちの主君のもとに帰って行った。アラムの部隊は二度とイスラエルの地に来なかった。

詩篇 119:17 あなたの僕のためにお計らいください わたしは命を得て、御言葉を守ります。
119:18 わたしの目の覆いを払ってください あなたの律法の驚くべき力に わたしは目を注ぎます。
119:19 この地では宿り人にすぎないわたしに あなたの戒めを隠さないでください。
119:20 あなたの裁きを望み続け わたしの魂はやつれ果てました。
119:21 呪われるべき傲慢な者をとがめてください あなたの戒めから迷い出る者を。
119:22 辱めと侮りをわたしの上から払ってください あなたの定めを守っているのですから。
119:23 地位ある人々が座に就き わたしのことを謀っていても あなたの僕は あなたの掟にのみ心を砕いていますように。
119:24 あなたの定めはわたしの楽しみです。わたしに良い考えを与えてくれます。

使徒 9:32 ペトロは方々を巡り歩き、リダに住んでいる聖なる者たちのところへも下って行った。
9:33 そしてそこで、中風で八年前から床についていたアイネアという人に会った。
9:34 ペトロが、「アイネア、イエス・キリストがいやしてくださる。起きなさい。自分で床を整えなさい」と言うと、アイネアはすぐ起き上がった。
9:35 リダとシャロンに住む人は皆アイネアを見て、主に立ち帰った。

列王記に記されている預言者エリシャの働きは非常に興味深い。
エリシャは、イスラエルと敵対していたアラムの軍の動きを察知し、イスラエルの王にそれを告げ、無用な戦いをしなくても良いように指示していた。
しかし、アラムの軍隊の動きを察知されていることにたいし、スパイがいるのではないかと疑ったアラムの王は、それが預言者エリシャの託宣によるものであることを知り、エリシャを捕らえようとせめてきたのである。
エリシャは動揺することなく、アラム軍の兵士たち全員の目をくらまし、彼らをサマリアの血へと導いていくのである。
しかし、そこでもエリシャは、彼らを打つのではなく、彼らに食事を与え、君主のもとへ送り返すように命じたのである。
それにより、アラムは二度とイスラエルに攻め入ろうとはしなくなったという。
何も、戦いで勝つことだけが勝利ではないし、むしろ、戦わずして互いの間に和平がもたらされるのなら、これに勝る勝利はない。
私たち人間は、ついつい正しいものが間違っているものを、強い者が弱い者を打ち倒すことで勝利がもたらされると思いがちである。
しかし、神のなさる勝利の御業は、これとは全く異なるものである。
正しいお方が正しくないもののために、強いお方が弱い者を救うために、自らの命を犠牲にして成し遂げられた「勝利」である」

1ペテロ3:18 キリストも、罪のためにただ一度苦しまれました。正しい方が、正しくない者たちのために苦しまれたのです。あなたがたを神のもとへ導くためです。キリストは、肉では死に渡されましたが、霊では生きる者とされたのです。

本来ならば、打たれるべき正しくない私たちのために、イエス様が身代わりとなって打たれ、まるで正しくないもののごとく十字架で裁かれたのである。
この十字架の御業によって、私たちはおろかな罪を赦され、そればかりか、神の国における大宴会の席に着かせていただけるのである。
なんと畏れ多く、驚くべき御業であろうか。
これこそがまことの勝利の御業であることを覚え、まことの平和をもたらして下さったイエス様に感謝しつつ、これからも引き続き、このお方と共に歩んで行きたいものである。

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