ゼカリヤ 6:9 主の言葉がわたしに臨んだ。
6:10 「帰還した捕囚の中から、ヘルダイ、トビヤ、エダヤの家族から、贈り物を受け取りなさい。あなたはその日のうちに、ツェファンヤの子ヨシヤの家に入りなさい。彼らはバビロンから帰ったばかりである。
6:11 銀と金を受け取り、冠をつくり、それをヨツァダクの子、大祭司ヨシュアの頭に載せて、
6:12 宣言しなさい。万軍の主はこう言われる。見よ、これが『若枝』という名の人である。その足もとから若枝が萌えいでる。彼は主の神殿を建て直す。
6:13 彼こそ主の神殿を建て直し 威光をまとい、王座に座して治める。その王座の傍らに祭司がいて 平和の計画が二人の間に生ずる。
6:14 冠はヘレム、トビヤ、エダヤ、およびツェファンヤの子の好意を記念するものとして、主の神殿に置かれる。
6:15 遠方からも人々が来て、主の神殿の建築に携わる。」こうして、あなたたちがひたすらあなたたちの神である主の声に聞き従うなら、万軍の主がわたしをあなたたちに遣わされたことを知るようになる。

詩篇 5:1  指揮者によって。笛に合わせて。賛歌。ダビデの詩。
5:2 主よ、わたしの言葉に耳を傾け つぶやきを聞き分けてください。
5:3 わたしの王、わたしの神よ 助けを求めて叫ぶ声を聞いてください。あなたに向かって祈ります。
5:4 主よ、朝ごとに、わたしの声を聞いてください。朝ごとに、わたしは御前に訴え出て あなたを仰ぎ望みます。
5:5 あなたは、決して 逆らう者を喜ぶ神ではありません。悪人は御もとに宿ることを許されず
5:6 誇り高い者は御目に向かって立つことができず 悪を行う者はすべて憎まれます。
5:7 主よ、あなたは偽って語る者を滅ぼし 流血の罪を犯す者、欺く者をいとわれます。
5:8 しかしわたしは、深い慈しみをいただいて あなたの家に入り、聖なる宮に向かってひれ伏し あなたを畏れ敬います。
5:9 主よ、恵みの御業のうちにわたしを導き まっすぐにあなたの道を歩ませてください。わたしを陥れようとする者がいます。
5:10 彼らの口は正しいことを語らず、舌は滑らかで 喉は開いた墓、腹は滅びの淵。
5:11 神よ、彼らを罪に定め そのたくらみのゆえに打ち倒してください。彼らは背きに背きを重ねる反逆の者。彼らを追い落としてください。
5:12 あなたを避けどころとする者は皆、喜び祝い とこしえに喜び歌います。御名を愛する者はあなたに守られ あなたによって喜び誇ります。
5:13 主よ、あなたは従う人を祝福し 御旨のままに、盾となってお守りくださいます。

1ペテロ 1:3 わたしたちの主イエス・キリストの父である神が、ほめたたえられますように。神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え、
1:4 また、あなたがたのために天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、しぼまない財産を受け継ぐ者としてくださいました。
1:5 あなたがたは、終わりの時に現されるように準備されている救いを受けるために、神の力により、信仰によって守られています。
1:6 それゆえ、あなたがたは、心から喜んでいるのです。今しばらくの間、いろいろな試練に悩まねばならないかもしれませんが、
1:7 あなたがたの信仰は、その試練によって本物と証明され、火で精錬されながらも朽ちるほかない金よりはるかに尊くて、イエス・キリストが現れるときには、称賛と光栄と誉れとをもたらすのです。
1:8 あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています。
1:9 それは、あなたがたが信仰の実りとして魂の救いを受けているからです。

ゼカリヤ書を見ると、そこには、バビロンから帰還したばかりのところで、まず最初に大祭司をたて、その者が王座について、イスラエルを立て直すであろうことが告げられている。
まさに、神の王国の復興であろう。
しかし、現実はどうであったか。
長い捕囚の時を終えて、祖国に帰還したばかりで、まだ何もないような荒れ果てた所であったに違いない。
けれども、主なる神様は、そこに救い主メシアがおられることを宣言しておられるのである。
私たちは、イエス様の十字架の死と復活の出来事を通して、神の救いの御業にあずかるものとして頂いた。
救いを受ける前と後とで、それほど環境に変わりはないかもしれないし、むしろ、状況は悪くなっていることもあるかもしれない。
かつてのような繁栄もなく、荒れ果てた世界に生きて行かなければならないのかもしれない。
けれど、そのような状況であっても、そこに主が共にいるのだ。
救い主イエス様は、いつでも私たちと共にいるのである。
信仰に生きるとは、そういうことなのかもしれない。
たとえ目の前の現実が厳しいもののように見えたとしても、神の救いの約束と、救い主イエス様が共にいて下さる約束は変わらない。
神の国は、いつか入ることのできるところではなく、今既に私たちのところに来ているものなのだから。

ヘブル11:1 信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。

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