ヨシュア 22:21 ルベンとガドの人々、およびマナセの半部族は、イスラエルの部隊の長たちに答えて、言った。
22:22 「神よ、主なる神よ。神よ、主なる神よ。神はご存じです。イスラエルも分かってください。もし、これが主に対する裏切りであり、背信であったなら、今日、わたしたちを生かしておかないでください。
22:23 もし、わたしたちが主に背いて祭壇を築き、その上で、焼き尽くす献げ物、穀物の献げ物、和解の献げ物をささげたとすれば、主御自身が罰してくださるでしょう。
22:24 わたしたちがこのことをしたのは、一つの心配があったからです。すなわち、後日、あなたたちの子供がわたしたちの子供に向かい、『あなたたちはイスラエルの神、主と何の関係もない。
22:25 ルベンとガドの人々よ。主はヨルダン川をわたしたちとあなたたちとの境とされた。あなたたちには、主の割り当てはない』と言って、あなたたちの子供がわたしたちの子供に主を畏れることをやめさせるかもしれません。
22:26 それで、自分たちの手で祭壇を築こうと申し合わせたのです。焼き尽くす献げ物やその他の献げ物をするためではなく、
22:27 あなたたちとわたしたち、更にわたしたちの子孫との間柄を示す証拠とするためです。わたしたちが焼き尽くす献げ物や、和解の献げ物をささげて主を礼拝するのは、後日、あなたたちの子供がわたしたちの子供に向かい、『あなたたちには、主の割り当てはない』と言わないためです。
22:28 わたしたちはこうも申し合わせました。もし後日、わたしたち、またわたしたちの子孫に、このようなことが言われたなら、こう答えよう。『わたしたちの先祖が作った主の祭壇の模型を見なさい。焼き尽くす献げ物や和解の献げ物をささげるためではなく、あなたたちとわたしたちとの間柄を示す証拠なのです。』
22:29 今日、主に逆らい、主に背いて、主の幕屋の前にあるわたしたちの神、主の祭壇とは別に祭壇を築き、焼き尽くす献げ物、穀物の献げ物、和解の献げ物をささげるつもりなど、全くありません。」
22:30 祭司ピネハス、共同体の指導者および同伴したイスラエルの部隊の長たちは、ルベン、ガド、マナセの人々の語る言葉を聞いて、良しとした。
22:31 エルアザルの子である祭司ピネハスは、ルベン、ガド、マナセの人々に告げた。「わたしたちは今日、主がわたしたちの中におられることを知った。あなたたちは主に対してこの背信の行為をすることなく、イスラエルの民が、主の手にかけられるのを免れさせた。」
22:32 エルアザルの子、祭司ピネハスと指導者たちは、ルベン、ガドの人々と別れ、ギレアド地方からカナンの土地のイスラエルの人々のもとに帰って、このことを報告した。
22:33 イスラエルの人々は、このことを良しとし、神をたたえ、もはやルベンとガドの人々の住む地方に攻め上り、これを滅ぼそうと言う者はなかった。
22:34 ルベンとガドの人々はこの祭壇を、「わたしたちの間では主が神であることの証人」と名付けた。
詩篇 34:16 主は、従う人に目を注ぎ 助けを求める叫びに耳を傾けてくださる。
34:17 主は悪を行う者に御顔を向け その名の記念を地上から絶たれる。
34:18 主は助けを求める人の叫びを聞き 苦難から常に彼らを助け出される。
34:19 主は打ち砕かれた心に近くいまし 悔いる霊を救ってくださる。
34:20 主に従う人には災いが重なるが 主はそのすべてから救い出し
34:21 骨の一本も損なわれることのないように 彼を守ってくださる。
34:22 主に逆らう者は災いに遭えば命を失い 主に従う人を憎む者は罪に定められる。
34:23 主はその僕の魂を贖ってくださる。主を避けどころとする人は 罪に定められることがない。
ルカ 11:5 また、弟子たちに言われた。「あなたがたのうちのだれかに友達がいて、真夜中にその人のところに行き、次のように言ったとしよう。『友よ、パンを三つ貸してください。
11:6 旅行中の友達がわたしのところに立ち寄ったが、何も出すものがないのです。』
11:7 すると、その人は家の中から答えるにちがいない。『面倒をかけないでください。もう戸は閉めたし、子供たちはわたしのそばで寝ています。起きてあなたに何かをあげるわけにはいきません。』
11:8 しかし、言っておく。その人は、友達だからということでは起きて何か与えるようなことはなくても、しつように頼めば、起きて来て必要なものは何でも与えるであろう。
11:9 そこで、わたしは言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。
11:10 だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。
11:11 あなたがたの中に、魚を欲しがる子供に、魚の代わりに蛇を与える父親がいるだろうか。
11:12 また、卵を欲しがるのに、さそりを与える父親がいるだろうか。
11:13 このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。」
ルベン、ガド、マナセの半部族の人たちは、自分たちがかつてイスラエルの他の部族と共に戦ってカナン侵攻を実現したこと、そして、これからもイスラエルの一員であることを保証するため、祭壇を築いた。
しかし、そのことに対し、イスラエルから離反するのではないかと疑いをかけられたが、むしろ逆で、後の世代の人たちにも歴史が語り継がれるように、記念として築いたものであることを述べている。
歴史の記憶というものは、時代を経るごとに風化していく。
当時生きていた世代の者がいなくなれば、記憶が失われていくからである。
それを避けるためには、歴史を記念する必要がある。
歴史を記念することで、かつて過去に起こったことが実際に起きた出来事であることを告げると同時に、その歴史と今の自分がつながっていることが理解され、記念する者たちの中に歴史が現実化していくのであろう。
教会で行われている礼拝は、まさにそういう意味あいを持っている。
キリストが、この私のために十字架で死に、よみがえり、この私を救って下さったという事実を記念することで、救いの約束を頂いているのである。
大切なことは、歴史との関係性をどう理解し、どう自分のものとしていくかであり、そのためには、絶えず御言葉に聞き、祈り続けていくことが必要である。
今の時代「そんなことが起こるわけがない」と思うようなことも時々耳にする。
夜中にパンが必要になるといったことは、普段あまり起きないことかもしれないし、非現実的な出来事とおもえるかもしれないが、もし、本当にそのようなことが起きたなら、友達だからという理由では応じてもらえなかったとしても、信じて訴え続ければ応じてもらえるだろうとイエス様は語られている。
どんなことが起こるかもはや誰にも分からないが、何が起きても慌てないように、これまで通り礼拝を守り、御言葉に聞き、祈り、神の恵みによって救われているという事実を常に忘れないで、神との関係性をしっかりと保ち続けていきたいものである。