出エジプト 13:3 モーセは民に言った。「あなたたちは、奴隷の家、エジプトから出たこの日を記念しなさい。主が力強い御手をもって、あなたたちをそこから導き出されたからである。酵母入りのパンを食べてはならない。
13:4 あなたたちはアビブの月のこの日に出発する。
13:5 主が、あなたに与えると先祖に誓われた乳と蜜の流れる土地、カナン人、ヘト人、アモリ人、ヒビ人、エブス人の土地にあなたを導き入れられるとき、あなたはこの月にこの儀式を行わねばならない。
13:6 七日の間、酵母を入れないパンを食べねばならない。七日目には主のための祭りをする。
13:7 酵母を入れないパンを七日の間食べる。あなたのもとに酵母入りのパンがあってはならないし、あなたの領土のどこにも酵母があってはならない。
13:8 あなたはこの日、自分の子供に告げなければならない。『これは、わたしがエジプトから出たとき、主がわたしのために行われたことのゆえである』と。
13:9 あなたは、この言葉を自分の腕と額に付けて記憶のしるしとし、主の教えを口ずさまねばならない。主が力強い御手をもって、あなたをエジプトから導き出されたからである。
13:10 あなたはこの掟を毎年定められたときに守らねばならない。
詩篇 78:23 それでもなお、神は上から雲に命じ 天の扉を開き
78:24 彼らの上にマナを降らせ、食べさせてくださった。神は天からの穀物をお与えになり
78:25 人は力ある方のパンを食べた。神は食べ飽きるほどの糧を送られた。
78:26 神は東風を天から送り 御力をもって南風を起こし
78:27 彼らの上に肉を塵のように降らせ 翼ある鳥を海辺の砂のように降らせ
78:28 彼らの陣営の中に 宿る所の周りに落としてくださった。
マタイ 16:5 弟子たちは向こう岸に行ったが、パンを持って来るのを忘れていた。
16:6 イエスは彼らに、「ファリサイ派とサドカイ派の人々のパン種によく注意しなさい」と言われた。
16:7 弟子たちは、「これは、パンを持って来なかったからだ」と論じ合っていた。
16:8 イエスはそれに気づいて言われた。「信仰の薄い者たちよ、なぜ、パンを持っていないことで論じ合っているのか。
16:9 まだ、分からないのか。覚えていないのか。パン五つを五千人に分けたとき、残りを幾籠に集めたか。
16:10 また、パン七つを四千人に分けたときは、残りを幾籠に集めたか。
16:11 パンについて言ったのではないことが、どうして分からないのか。ファリサイ派とサドカイ派の人々のパン種に注意しなさい。」
16:12 そのときようやく、弟子たちは、イエスが注意を促されたのは、パン種のことではなく、ファリサイ派とサドカイ派の人々の教えのことだと悟った。
イエス様はファリサイ派とサドカイ派の人々のパン種によく注意しなさいと言われた。
それは、彼らの教えや思想が入ってくると、知らない間にどんどん大きくなっていき、やがてそのような考え方に支配されてしまうことを警戒するようにとのことであろう。
ファリサイ派の教えとは、人間の行いによって救いを完成させようとするもので、いわゆる律法主義と呼ばれるものである。
もちろん、人間の力で救いは達成することはできず、いつの間にか自分の清さや正しさを他人に見せつけるだけのものとなってしまい、結果、他者を裁いてしまうのである。
サドカイ派の人たちの教えは、死後の世界も天使の存在も否定し、この世のことが全て、つまり現世主義である。
彼らの関心事は、この世における成功であり、出世やお金などにしか関心がない。
私たちもこの世界に生きている間は、こうした考え方に影響を受けがちであり、いつの間にか思いも行動も支配されてしまう。
そうならないためには、常に彼らの教えに警戒しながら、イエス様が与えて下さる救いの約束の言葉を聞き、しっかりと保ち続けて行くことが大切であろう。
でも人は弱い。
だからこそ、いつも御言葉に帰ることが大切である。
聖書の言葉や、救いのことについては、もう何度も聞いているし、知っているなどと思わず、常に新鮮な心で御言葉に聞き、いつでも主エイス様に出会った時のように、フレッシュな状態で歩んでいきたいものである。