列王記上 19:19 エリヤはそこをたち、十二軛の牛を前に行かせて畑を耕しているシャファトの子エリシャに出会った。エリシャは、その十二番目の牛と共にいた。エリヤはそのそばを通り過ぎるとき、自分の外套を彼に投げかけた。
19:20 エリシャは牛を捨てて、エリヤの後を追い、「わたしの父、わたしの母に別れの接吻をさせてください。それからあなたに従います」と言った。エリヤは答えた。「行って来なさい。わたしがあなたに何をしたというのか」と。
19:21 エリシャはエリヤを残して帰ると、一軛の牛を取って屠り、牛の装具を燃やしてその肉を煮、人々に振る舞って食べさせた。それから彼は立ってエリヤに従い、彼に仕えた。

詩篇 145:10 主よ、造られたものがすべて、あなたに感謝し あなたの慈しみに生きる人があなたをたたえ
145:11 あなたの主権の栄光を告げ 力強い御業について語りますように。
145:12 その力強い御業と栄光を 主権の輝きを、人の子らに示しますように。
145:13 あなたの主権はとこしえの主権 あなたの統治は代々に。
145:14 主は倒れようとする人をひとりひとり支え うずくまっている人を起こしてくださいます。
145:15 ものみながあなたに目を注いで待ち望むと あなたはときに応じて食べ物をくださいます。
145:16 すべて命あるものに向かって御手を開き 望みを満足させてくださいます。
145:17 主の道はことごとく正しく 御業は慈しみを示しています。
145:18 主を呼ぶ人すべてに近くいまし まことをもって呼ぶ人すべてに近くいまし

コロサイ 1:9 こういうわけで、そのことを聞いたときから、わたしたちは、絶えずあなたがたのために祈り、願っています。どうか、”霊”によるあらゆる知恵と理解によって、神の御心を十分悟り、
1:10 すべての点で主に喜ばれるように主に従って歩み、あらゆる善い業を行って実を結び、神をますます深く知るように。
1:11 そして、神の栄光の力に従い、あらゆる力によって強められ、どんなことも根気強く耐え忍ぶように。喜びをもって、
1:12 光の中にある聖なる者たちの相続分に、あなたがたがあずかれるようにしてくださった御父に感謝するように。
1:13 御父は、わたしたちを闇の力から救い出して、その愛する御子の支配下に移してくださいました。
1:14 わたしたちは、この御子によって、贖い、すなわち罪の赦しを得ているのです。

イエス様がそのご生涯を持って現わして下さった最高の愛の形は「赦す」ということではないだろうか。
もちろん、困った人を助けたり、病の人を癒したりされたこともあっただろう。
けれど、イエス様のなさった事で最大の御業は、十字架において、罪人である私たちのために死んで下さり、全ての罪を赦し、救って下さったことである。
だから、私たちも、常にその十字架のイエス様を見あげ、イエス様の思いがどこに向いているのかということを覚え、生きて行きたい。
いくら正しいことや優れたことができたとしても、それによって他者を裁いているようでは、キリストの御心に反するものとなってしまう。
イエス様は、罪人である私たちを赦されたのだ。
もちろん、罪は罪として認められ、悔い改めなければならないが、主イエス様の犠牲を伴った上で、赦し合っていく、そのような道へと進んで行くことができるよう、キリストの足跡に従って生きて行きたいものである。

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