エレミヤ 7:16 あなたはこの民のために祈ってはならない。彼らのために嘆きと祈りの声をあげてわたしを煩わすな。わたしはあなたに耳を傾けない。
7:17 ユダの町々、エルサレムの巷で彼らがどのようなことをしているか、あなたには見えないのか。
7:18 子らは薪を集め、父は火を燃やし、女たちは粉を練り、天の女王のために献げ物の菓子を作り、異教の神々に献げ物のぶどう酒を注いで、わたしを怒らせている。
7:19 彼らはわたしを怒らせているのか――と主は言われる――むしろ、自らの恥によって自らを怒らせているのではないか。
7:20 それゆえ、主なる神はこう言われる。見よ、わたしの怒りと 憤りが、この所で、人間、家畜、野の木、地の実りに注がれる。それは燃え上がり、消えることはない。
7:21 イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。お前たちの焼き尽くす献げ物の肉を、いけにえの肉に加えて食べるがよい。
7:22 わたしはお前たちの先祖をエジプトの地から導き出したとき、わたしは焼き尽くす献げ物やいけにえについて、語ったことも命じたこともない。
7:23 むしろ、わたしは次のことを彼らに命じた。「わたしの声に聞き従え。そうすれば、わたしはあなたたちの神となり、あなたたちはわたしの民となる。わたしが命じる道にのみ歩むならば、あなたたちは幸いを得る。」
7:24 しかし、彼らは聞き従わず、耳を傾けず、彼らのかたくなで悪い心のたくらみに従って歩み、わたしに背を向け、顔を向けなかった。
7:25 お前たちの先祖がエジプトの地から出たその日から、今日に至るまで、わたしの僕である預言者らを、常に繰り返しお前たちに遣わした。
7:26 それでも、わたしに聞き従わず、耳を傾けず、かえって、うなじを固くし、先祖よりも悪い者となった。

詩篇 123:1  都に上る歌。 目を上げて、わたしはあなたを仰ぎます 天にいます方よ。
123:2 御覧ください、僕が主人の手に目を注ぎ はしためが女主人の手に目を注ぐように わたしたちは、神に、わたしたちの主に目を注ぎ 憐れみを待ちます。
123:3 わたしたちを憐れんでください。主よ、わたしたちを憐れんでください。わたしたちはあまりにも恥に飽かされています。
123:4 平然と生きる者らの嘲笑に 傲然と生きる者らの侮りに わたしたちの魂はあまりにも飽かされています。

2コリント 10:7 あなたがたは、うわべのことだけ見ています。自分がキリストのものだと信じきっている人がいれば、その人は、自分と同じくわたしたちもキリストのものであることを、もう一度考えてみるがよい。
10:8 あなたがたを打ち倒すためではなく、造り上げるために主がわたしたちに授けてくださった権威について、わたしがいささか誇りすぎたとしても、恥にはならないでしょう。
10:9 わたしは手紙であなたがたを脅していると思われたくない。
10:10 わたしのことを、「手紙は重々しく力強いが、実際に会ってみると弱々しい人で、話もつまらない」と言う者たちがいるからです。
10:11 そのような者は心得ておくがよい。離れていて手紙で書くわたしたちと、その場に居合わせてふるまうわたしたちとに変わりはありません。

手紙ではかなり厳しい言葉を書いていたパウロも、実際に会って見れば、とても柔和で、謙遜に振舞っていたのであろう。
しかし、それ故に、軽く見られることも多かったであろうし、正直、なめられることもあったのであろう。
言い返さないからと言って、何も考えていないわけではない。
むしろ考えているからこそ、言葉を選び、慎み、吟味して語る事に徹しようとしていたのだろう。
キリストによる救いの喜びは、多くの言葉を持って表現するよりも、その生き方に現れてくる。
イエス様の尊い十字架の贖いによって、どれだけ多くの罪を赦されたかということを知っている人は、他者を威圧したり、むやみやたらと批判したりしないはずである。
時には言いたいこともぐっと我慢し、平静を予想ような事もあっただろう。
しかし、パウロは常に十字架のイエス様を見ていたからこそ、柔和で謙遜に振舞っていたのであろう。
口数が少なく、おとなしい人のように見えても、中身はキリストにあって暑く燃やされている、そんなパウロの姿を想像しながら、大いなる恵みによる救いの喜びに燃やされつつ、平穏のうちに今日も過ごしていきたいものである。

1ペテロ2:19 不当な苦しみを受けることになっても、神がそうお望みだとわきまえて苦痛を耐えるなら、それは御心に適うことなのです。
2:20 罪を犯して打ちたたかれ、それを耐え忍んでも、何の誉れになるでしょう。しかし、善を行って苦しみを受け、それを耐え忍ぶなら、これこそ神の御心に適うことです。
2:21 あなたがたが召されたのはこのためです。というのは、キリストもあなたがたのために苦しみを受け、その足跡に続くようにと、模範を残されたからです。
2:22 「この方は、罪を犯したことがなく、その口には偽りがなかった。」
2:23 ののしられてもののしり返さず、苦しめられても人を脅さず、正しくお裁きになる方にお任せになりました。
2:24 そして、十字架にかかって、自らその身にわたしたちの罪を担ってくださいました。わたしたちが、罪に対して死んで、義によって生きるようになるためです。そのお受けになった傷によって、あなたがたはいやされました。
2:25 あなたがたは羊のようにさまよっていましたが、今は、魂の牧者であり、監督者である方のところへ戻って来たのです。

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