ヨブ 5:8 わたしなら、神に訴え 神にわたしの問題を任せるだろう。
5:9 計り難く大きな業を 数知れぬ不思議な業を成し遂げられる方に。
5:10 神は地の面に雨を降らせ 野に水を送ってくださる。
5:11 卑しめられている者を高く上げ 嘆く者を安全な境遇に引き上げてくださる。
5:12 こざかしい者の企てを砕いて 彼らの手の業が成功することを許されない。
5:13 知恵ある者はさかしさの罠にかかり よこしまな者はたくらんでも熟さない。
5:14 真昼にも、暗黒に出会い 昼も、夜であるかのように手探りする。
5:15 神は貧しい人を剣の刃から 権力者の手から救い出してくださる。
5:16 だからこそ、弱い人にも希望がある。不正はその口を閉ざすであろう。
5:17 見よ、幸いなのは 神の懲らしめを受ける人。全能者の戒めを拒んではならない。
5:18 彼は傷つけても、包み 打っても、その御手で癒してくださる。
5:19 六度苦難が襲っても、あなたを救い 七度襲っても 災いがあなたに触れないようにしてくださる。
5:20 飢饉の時には死から 戦いの時には剣から助け出してくださる。
5:21 あなたは、陥れる舌からも守られている。略奪する者が襲っても 恐怖を抱くことはない。
5:22 略奪や飢饉を笑っていられる。地の獣に恐怖を抱くこともない。
5:23 野の石とは契約を結び 野の獣とは和解する。
5:24 あなたは知るだろう あなたの天幕は安全で 牧場の群れを数えて欠けるもののないことを。
5:25 あなたは知るだろう あなたの子孫は増え 一族は野の草のように茂ることを。
5:26 麦が実って収穫されるように あなたは天寿を全うして墓に入ることだろう。
5:27 見よ、これが我らの究めたところ。これこそ確かだ。よく聞いて、悟るがよい。

詩篇 77:1  指揮者によって。エドトンに合わせて。アサフの詩。賛歌。
77:2 神に向かってわたしは声をあげ 助けを求めて叫びます。神に向かってわたしは声をあげ 神はわたしに耳を傾けてくださいます。
77:3 苦難の襲うとき、わたしは主を求めます。夜、わたしの手は疲れも知らず差し出され わたしの魂は慰めを受け入れません。
77:4 神を思い続けて呻き わたしの霊は悩んでなえ果てます。
77:5 あなたはわたしのまぶたをつかんでおられます。心は騒ぎますが、わたしは語りません。
77:6 いにしえの日々をわたしは思います とこしえに続く年月を。
77:7 夜、わたしの歌を心に思い続け わたしの霊は悩んで問いかけます。
77:8 「主はとこしえに突き放し 再び喜び迎えてはくださらないのか。
77:9 主の慈しみは永遠に失われたのであろうか。約束は代々に断たれてしまったのであろうか。
77:10 神は憐れみを忘れ 怒って、同情を閉ざされたのであろうか。」
77:11 わたしは言います。「いと高き神の右の御手は変わり わたしは弱くされてしまった。」
77:12 わたしは主の御業を思い続け いにしえに、あなたのなさった奇跡を思い続け
77:13 あなたの働きをひとつひとつ口ずさみながら あなたの御業を思いめぐらします。
77:14 神よ、あなたの聖なる道を思えば あなたのようにすぐれた神はあるでしょうか。
77:15 あなたは奇跡を行われる神 諸国の民の中に御力を示されました。
77:16 御腕をもって御自分の民を ヤコブとヨセフの子らを贖われました。

1ペテロ 3:8 終わりに、皆心を一つに、同情し合い、兄弟を愛し、憐れみ深く、謙虚になりなさい。
3:9 悪をもって悪に、侮辱をもって侮辱に報いてはなりません。かえって祝福を祈りなさい。祝福を受け継ぐためにあなたがたは召されたのです。
3:10 「命を愛し、幸せな日々を過ごしたい人は、舌を制して、悪を言わず、唇を閉じて、偽りを語らず、
3:11 悪から遠ざかり、善を行い、平和を願って、これを追い求めよ。
3:12 主の目は正しい者に注がれ、主の耳は彼らの祈りに傾けられる。主の顔は悪事を働く者に対して向けられる。」
3:13 もし、善いことに熱心であるなら、だれがあなたがたに害を加えるでしょう。
3:14 しかし、義のために苦しみを受けるのであれば、幸いです。人々を恐れたり、心を乱したりしてはいけません。
3:15 心の中でキリストを主とあがめなさい。あなたがたの抱いている希望について説明を要求する人には、いつでも弁明できるように備えていなさい。
3:16 それも、穏やかに、敬意をもって、正しい良心で、弁明するようにしなさい。そうすれば、キリストに結ばれたあなたがたの善い生活をののしる者たちは、悪口を言ったことで恥じ入るようになるのです。
3:17 神の御心によるのであれば、善を行って苦しむ方が、悪を行って苦しむよりはよい。
3:18 キリストも、罪のためにただ一度苦しまれました。正しい方が、正しくない者たちのために苦しまれたのです。あなたがたを神のもとへ導くためです。キリストは、肉では死に渡されましたが、霊では生きる者とされたのです。

ヨブ記におけるヨブの友人たちの言葉と、ペテロの手紙における勧めとでは、似ているようで異なる。
ヨブの友人たちの言葉だと、神は公平な裁きをなさるお方であり「正義」という言葉にふさわしいお方であることが語られているように思う。
一方、ペテロの手紙におけるペテロの勧めには、正しいことを行うように勧められてはいるが、それは他者への「愛」に基づくものであり、善き業に対する報いを求めない姿勢が伺える。
誰にでも公平、公正に裁きを行う事も、もちろん全ての人に対する神の「愛」のゆえであると言えるが、報いを求めず、ただ一方的に与えるだけの「愛」は、まさに、主なる神様が御子キリストを世に送り、十字架にかけられて全ての罪の償いを成し遂げて下さったことに通じるものがあり、その救いの約束は、すべての人が受けることができるように「信じるだけで受け取れる」という恵みとして提供されており、それゆえに、再び神の公平、公正さが際立ってくるのであろう。
私たちの救いは、神の一方的な愛のゆえに、恵みにより、信仰により、値なしに誰にでも受け取ることのできる約束であり、実に素晴らしい福音となっている。
そういう意味では、旧約聖書の言葉も新約聖書の言葉も、どちらも必要であり、旧約を理解するために新約を、新約を理解するために旧約を、双方、読み進めながら、神の義と愛と、恵みと信仰、幸いな救いの約束として受け止めたいものである。

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