ヨブ記 19:23 どうか わたしの言葉が書き留められるように 碑文として刻まれるように。
19:24 たがねで岩に刻まれ、鉛で黒々と記され いつまでも残るように。
19:25 わたしは知っている わたしを贖う方は生きておられ ついには塵の上に立たれるであろう。
19:26 この皮膚が損なわれようとも この身をもって わたしは神を仰ぎ見るであろう。
19:27 このわたしが仰ぎ見る ほかならぬこの目で見る。腹の底から焦がれ、はらわたは絶え入る。

詩篇 110:1  ダビデの詩。賛歌。 わが主に賜った主の御言葉。「わたしの右の座に就くがよい。わたしはあなたの敵をあなたの足台としよう。」
110:2 主はあなたの力ある杖をシオンから伸ばされる。敵のただ中で支配せよ。
110:3 あなたの民は進んであなたを迎える 聖なる方の輝きを帯びてあなたの力が現れ 曙の胎から若さの露があなたに降るとき。
110:4 主は誓い、思い返されることはない。「わたしの言葉に従って あなたはとこしえの祭司 メルキゼデク(わたしの正しい王)。」

1テモテ 3:14 わたしは、間もなくあなたのところへ行きたいと思いながら、この手紙を書いています。
3:15 行くのが遅れる場合、神の家でどのように生活すべきかを知ってもらいたいのです。神の家とは、真理の柱であり土台である生ける神の教会です。
3:16 信心の秘められた真理は確かに偉大です。すなわち、キリストは肉において現れ、”霊”において義とされ、天使たちに見られ、異邦人の間で宣べ伝えられ、世界中で信じられ、栄光のうちに上げられた。

テモテへの手紙における「キリストは肉において現れ、”霊”において義とされ、天使たちに見られ、異邦人の間で宣べ伝えられ、世界中で信じられ、栄光のうちに上げられた。」という表現は、おそらく、なんらかの信仰告白のようなものがそのまま引用されているのだろう。
当時の初代教会では、こういった定型の信仰告白のようなものが幾つかあったのかもしれない。
現代では「使徒信条」と呼ばれる信仰告白が最もポピュラーなものとして利用されているが、信仰を告白する定型の文章は、他にもたくさんある。
礼拝で用いるには長すぎるといった理由であまり用いられないケースが多く、比較的短い文章のものならば、礼拝や短時間の集会などにおいても用いやすいため、当時の教会では、こうした信仰告白文が信徒の集まるところで用いられていたのかもしれない。
あるいは、パウロら使徒たちが語った信仰の言葉が、やがて信仰告白の言葉となって行ったのかもしれない。
正確なところは定かではないが、「使徒信条」と呼ばれるくらいなのだから、使徒たちが体験し、彼らが教えた言葉がやがて整えられて、信仰を告白する文章という形に集約していったとも考えられる。
いずれにせよ、信仰告白とは、信仰を告白するための定型文のようなものであり、キリスト教の歴史と共に信仰を表すために非常に有益かつ有効にまとめられた文章であり、大切に受け継がれていくべきものであろう。
イエス様を直接目撃し、イエス様の奇跡や十字架と復活による救いの御業を直接目撃した使徒たちの言葉として、貴重な証言として受け継いでいきたいものである。

Write a comment:

Your email address will not be published.