エレミヤ 31:15 主はこう言われる。ラマで声が聞こえる 苦悩に満ちて嘆き、泣く声が。ラケルが息子たちのゆえに泣いている。彼女は慰めを拒む 息子たちはもういないのだから。
31:16 主はこう言われる。泣きやむがよい。目から涙をぬぐいなさい。あなたの苦しみは報いられる、と主は言われる。息子たちは敵の国から帰って来る。
31:17 あなたの未来には希望がある、と主は言われる。息子たちは自分の国に帰って来る。
詩篇 148:1 ハレルヤ。天において主を賛美せよ。高い天で主を賛美せよ。
148:2 御使いらよ、こぞって主を賛美せよ。主の万軍よ、こぞって主を賛美せよ。
148:3 日よ、月よ主を賛美せよ。輝く星よ主を賛美せよ。
148:4 天の天よ 天の上にある水よ主を賛美せよ。
148:5 主の御名を賛美せよ。主は命じられ、すべてのものは創造された。
148:6 主はそれらを世々限りなく立て 越ええない掟を与えられた。
148:7 地において主を賛美せよ。海に住む竜よ、深淵よ
148:8 火よ、雹よ、雪よ、霧よ 御言葉を成し遂げる嵐よ
148:9 山々よ、すべての丘よ 実を結ぶ木よ、杉の林よ
148:10 野の獣よ、すべての家畜よ 地を這うものよ、翼ある鳥よ
148:11 地上の王よ、諸国の民よ 君主よ、地上の支配者よ
148:12 若者よ、おとめよ 老人よ、幼子よ。
148:13 主の御名を賛美せよ。主の御名はひとり高く 威光は天地に満ちている。
148:14 主は御自分の民の角を高く上げてくださる。それは主の慈しみに生きるすべての人の栄誉。主に近くある民、イスラエルの子らよ。ハレルヤ。
マタイ 13:1 その日、イエスは家を出て、湖のほとりに座っておられた。
13:2 すると、大勢の群衆がそばに集まって来たので、イエスは舟に乗って腰を下ろされた。群衆は皆岸辺に立っていた。
13:3 イエスはたとえを用いて彼らに多くのことを語られた。「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。
13:4 蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。
13:5 ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。
13:6 しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。
13:7 ほかの種は茨の間に落ち、茨が伸びてそれをふさいでしまった。
13:8 ところが、ほかの種は、良い土地に落ち、実を結んで、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。
今年はいろんなことがあって、まさに全世界が闇に覆われているかのように感じた人も多かったのではないだろうか。
しかし、いつの時代でも未来のことは誰にも分からない、そう考えれば、いつだって闇のようなものであろう。
昨年だってあちこちで大きな災害もあったし、未だ災害からの復興を果たせていない人たちも大勢いる。
そんなことはすっかり忘れ去られたかのように毎日毎日コロナのことしか報道されなかったが、地道に災害からの復興に明け暮れた人たちもいるのである。
熊本であったり、長野であったり、倉敷も今では何事も無かったかのように忘れ去られているが、人々の暮らしが回復したとは言えないだろう。
それでも人は生きていく。
生きて行かなければならない。
土に蒔かれた種は、すぐには芽を出さないが、やがて芽を出し、徐々に成長していく。
成長していくスピードも、人の目で分かるような速さではないが、着実に育っていく。
人の営みも、本来はそんなゆっくりとした歩みであったのではないだろうか。
今の時代は、あまりにもいろんなことを焦り過ぎる。
世界中のどこにでも、その日のうちに移動できてしまうような世界は異常なのだろう。
もう少しゆっくりと、じっくりとこの世界を見て行こう。
きっと、神様のなさる幸いな御業に気が付くことだろう。
そして、ふと気が付いた時に、百倍、六十倍、三十倍にもなった神の御業をほめたたえるものでありたい。