イザヤ 33:17 あなたの目は麗しく装った王を仰ぎ 遠く隔たった地を見る。
33:18 あなたの心はかつての恐怖を思って言う。あのとき、数を調べた者はどこにいるのか 量った者はどこにいるのか やぐらを数えた者はどこにいるのか、と。
33:19 あの傲慢な民をあなたはもはや見ない。その民の唇は重くて聞き分けることができず 舌はどもるので理解しえなかった。
33:20 シオンを仰ぎ見よ、我らの祝祭の都を。あなたの目はエルサレムを見る。それは安らかな住まい 移されることのない天幕。その杭は永遠に抜かれることなく 一本の綱も断たれることはない。
33:21 まことに、そこにこそ 主の威光は我らのために現れる。そこには多くの川、幅広い流れがある。櫓をこぐ舟はそこを通らす 威容を誇る船もそこを過ぎることはない。
33:22 まことに、主は我らを正しく裁かれる方。主は我らに法を与えられる方。主は我らの王となって、我らを救われる。
詩篇
24:1 ダビデの詩。賛歌。 地とそこに満ちるもの 世界とそこに住むものは、主のもの。
24:2 主は、大海の上に地の基を置き 潮の流れの上に世界を築かれた。
24:3 どのような人が、主の山に上り 聖所に立つことができるのか。
24:4 それは、潔白な手と清い心をもつ人。むなしいものに魂を奪われることなく 欺くものによって誓うことをしない人。
24:5 主はそのような人を祝福し 救いの神は恵みをお与えになる。
24:6 それは主を求める人 ヤコブの神よ、御顔を尋ね求める人。
24:7 城門よ、頭を上げよ とこしえの門よ、身を起こせ。栄光に輝く王が来られる。
24:8 栄光に輝く王とは誰か。強く雄々しい主、雄々しく戦われる主。
24:9 城門よ、頭を上げよ とこしえの門よ、身を起こせ。栄光に輝く王が来られる。
24:10 栄光に輝く王とは誰か。万軍の主、主こそ栄光に輝く王。
黙示録 22:8 わたしは、これらのことを聞き、また見たヨハネである。聞き、また見たとき、わたしは、このことを示してくれた天使の足もとにひれ伏して、拝もうとした。
22:9 すると、天使はわたしに言った。「やめよ。わたしは、あなたや、あなたの兄弟である預言者たちや、この書物の言葉を守っている人たちと共に、仕える者である。神を礼拝せよ。」
22:10 また、わたしにこう言った。「この書物の預言の言葉を、秘密にしておいてはいけない。時が迫っているからである。
22:11 不正を行う者には、なお不正を行わせ、汚れた者は、なお汚れるままにしておけ。正しい者には、なお正しいことを行わせ、聖なる者は、なお聖なる者とならせよ。
22:12 見よ、わたしはすぐに来る。わたしは、報いを携えて来て、それぞれの行いに応じて報いる。
22:13 わたしはアルファであり、オメガである。最初の者にして、最後の者。初めであり、終わりである。
22:14 命の木に対する権利を与えられ、門を通って都に入れるように、自分の衣を洗い清める者は幸いである。
22:15 犬のような者、魔術を使う者、みだらなことをする者、人を殺す者、偶像を拝む者、すべて偽りを好み、また行う者は都の外にいる。
22:16 わたし、イエスは使いを遣わし、諸教会のために以上のことをあなたがたに証しした。わたしは、ダビデのひこばえ、その一族、輝く明けの明星である。」
22:17 “霊”と花嫁とが言う。「来てください。」これを聞く者も言うがよい、「来てください」と。渇いている者は来るがよい。命の水が欲しい者は、価なしに飲むがよい。
22:18 この書物の預言の言葉を聞くすべての者に、わたしは証しする。これに付け加える者があれば、神はこの書物に書いてある災いをその者に加えられる。
22:19 また、この預言の書の言葉から何か取り去る者があれば、神は、この書物に書いてある命の木と聖なる都から、その者が受ける分を取り除かれる。
22:20 以上すべてを証しする方が、言われる。「然り、わたしはすぐに来る。」アーメン、主イエスよ、来てください。
22:21 主イエスの恵みが、すべての者と共にあるように。
主の時が来れば、地上で不正を働いていた者や、悪を行っていた者たちは、神の裁きを受けることになる。
それが分かっているのなら、早まって私たちが裁きを行う必要はない。
人は他人に言われて改めることができるほど柔軟ではない。
むしろ頑なである。
つまり、言っても無駄、なことが多い。
しかし、あきらめるのではなく、委ねるのである。
不正を働きたければ、そのままさせて置けばよい。
私たちが首を突っ込んで、被害を被るくらいなら、そのままにしておくのも悪いことではない。
しかし、自分自身も悪に手を染め、不正を働くことに加担してはならない。
そこだけ気を付けていれば良いのだろう。
私たちは「神」ではない。
他人を裁く権威も義も持ってはいない。
この世を裁くことのできるお方は、唯一、私たちの救いのために自らの命を十字架に捧げるほどに愛して下さる主イエス様だけである。
だからこう祈ろう。
「アーメン主イエスよ、来てください」と。
いつも私たちのところにイエス様が来ていて下さることを信じて、今日も幸いな人生を歩みたい。