エゼキエル 7:10 見よ、その日を。今やその日が来る。順番が巡って来る。王杖に花が咲き、傲慢の芽が萌え出た。
7:11 不法が起こって、背きの王杖となった。彼らのものはひとつも残らず、群衆は絶える。彼らの騒ぎも残らず、嘆きの声すら絶える。
7:12 時が来る。その日が到来する。買う者も喜ぶな、売る者も悲しむな。怒りが、国の群衆すべてに及ぶからだ。
7:13 売る者がたとえ生き長らえても 売った物を買い戻すことはできない。すべての群衆に対する審判の幻が 撤回されないからだ。罪のゆえに、だれひとり命を保つことはできない。
7:14 角笛が吹き鳴らされ、準備がすべて整っても だれひとり戦いに出る者はない。わたしの怒りが群衆のすべてに及ぶからだ。
7:15 外には剣があり、内には疫病と飢饉がある。野にいる者は、剣にかけられて死に 町にいる者は、飢えと疫病が滅ぼす。
7:16 たとえ、逃れた者たちが逃れて山に行っても 皆、おのおの自分の罪のゆえに 谷間の鳩のように嘆く。
7:17 手は力なく垂れ 膝は水のように力を失う。
7:18 彼らは粗布を身にまとい、戦慄が彼らを包む。どの顔も恥を表し、髪はみなそり落とされる。
7:19 彼らは銀を外に投げ捨て 金は汚れたものとなる。主の怒りの日には、銀も金も 彼らを救うことができないからだ。銀も金も、彼らの飢えを鎮めることができず 腹を満たすこともできない。かえって、それは彼らをつまずかせ罪を犯させた。
7:20 彼らは美しい飾りを驕り高ぶるために用い 憎むべき忌まわしい偶像を造った。それゆえ、わたしはそれを汚れたものとし
7:21 戦利品として、他国人の手に渡し 分捕物として、地上の悪人たちに与える。彼らはそれを汚す。
7:22 わたしは彼らから顔をそむける。彼らはわたしの宝を汚し 乱暴な者が襲いかかって汚す。
7:23 鎖を用意せよ。この地は流血の罪に満ち 都は不法に満ちているからだ。
7:24 わたしは諸国から悪者どもを来させ 彼らの家を奪い取らせる。わたしは力ある者の誇りを挫く。彼らの聖所は汚される。
7:25 恐怖が臨む。彼らが平和を求めても、どこにもない。
7:26 災いに災いが続き 悪い知らせが相次いで来る。彼らが幻を預言者に求めても得ず 律法は祭司から失われ 助言は長老たちから失われる。
7:27 王は嘆き 君侯たちは恐怖にとらわれ 国の民の手は震える。わたしは彼らの行いに従って報い 彼らの法に従って彼らを裁く。そのとき、彼らは わたしが主であることを知るようになる。」
詩篇 90:1 祈り。神の人モーセの詩。 主よ、あなたは代々にわたしたちの宿るところ。
90:2 山々が生まれる前から 大地が、人の世が、生み出される前から 世々とこしえに、あなたは神。
90:3 あなたは人を塵に返し 「人の子よ、帰れ」と仰せになります。
90:4 千年といえども御目には 昨日が今日へと移る夜の一時にすぎません。
90:5 あなたは眠りの中に人を漂わせ 朝が来れば、人は草のように移ろいます。
90:6 朝が来れば花を咲かせ、やがて移ろい 夕べにはしおれ、枯れて行きます。
90:7 あなたの怒りにわたしたちは絶え入り あなたの憤りに恐れます。
90:8 あなたはわたしたちの罪を御前に 隠れた罪を御顔の光の中に置かれます。
90:12 生涯の日を正しく数えるように教えてください。知恵ある心を得ることができますように。
マタイ 12:43 「汚れた霊は、人から出て行くと、砂漠をうろつき、休む場所を探すが、見つからない。
12:44 それで、『出て来たわが家に戻ろう』と言う。戻ってみると、空き家になっており、掃除をして、整えられていた。
12:45 そこで、出かけて行き、自分よりも悪いほかの七つの霊を一緒に連れて来て、中に入り込んで、住み着く。そうなると、その人の後の状態は前よりも悪くなる。この悪い時代の者たちもそのようになろう。」
経済成長の時代を知る人は、昨日よりも今日、今日よりよりも明日はよくなると信じている。
けれど、必ずしもそうではないし、縮小の時代や衰退の時代だと、今日より明日のほうが悪くなっていくことも当然起こりうる。
そうなると、将来に希望が持てなくなり、生き辛さといったものを感じるようになるのだろう。
けれど、生きるのに辛くない時代などない。
何時だって、どんな時代だって、人が生きていくことに苦難はある。
それでも人は生きようとする。
それが神から託された人の使命でもあろう。
もちろん、神は人を苦しめようとして今の時代を生かしているわけではない。
ほとんどの場合、人間が身勝手な思いや行動を取っているがゆえに、そのような苦難を自ら招いているのかもしれない。
マタイの箇所のように、人は、せっかく汚れた霊が出て行ったとしても、その後、悪い霊たちにとって居心地の良い環境を自ら作ってしまっているのかもしれない。
悪い霊たちは、真の神主なる神が嫌いであろう。
ならば、私たちの中に、いつでもキリストが住んでいるなら、やすやすと悪い霊たちを引きずり込むことにはならないだろう。
毎日の御言葉、祈り、安息日の礼拝、賛美、感謝、できることはいっぱいある。