ヨブ記 36:24 世の人は神の御業に賛美の歌をうたう。あなたも心して、ほめたたえよ。
36:25 人は皆、御業を仰ぎ はるかかなたから望み見ている。
36:26 まことに神は偉大、神を知ることはできず その齢を数えることもできない。
36:27 神は水滴を御もとに集め 霧のような雨を降らす。
36:28 雲は雨となって滴り 多くの人の上に降り注ぐ。
36:29 どのように雨雲が広がり 神の仮庵が雷鳴をとどろかせるかを 悟りうる者があろうか。
36:30 神はその上に光を放ち 海の根を覆われる。
36:31 それによって諸国の民を治め 豊かに食べ物を与えられる。
36:32 神は御手に稲妻の光をまとい 的を定め、それに指令し
36:33 御自分の思いを表される。悪に対する激しい怒りを。

37:14 ヨブよ、耳を傾け 神の驚くべき御業について、よく考えよ。
37:15 あなたは知っているか どのように神が指図して 密雲の中から稲妻を輝かせるかを。
37:16 あなたは知っているか 完全な知識を持つ方が 垂れこめる雨雲によって 驚くべき御業を果たされることを。
37:17 南風が吹いて大地が黙すときには あなたの衣すら熱くなるというのに
37:18 鋳て造った鏡のような堅い大空を あなたは、神と共に 固めることができるとでもいうのか。
37:19 神に何と申し上げるべきかを わたしたちに言ってみよ。暗黒を前にして わたしたちに何の申し立てができようか。
37:20 わたしが話したとしても 神に対して説明になるだろうか。人間が何か言ったところで 神が言い負かされるだろうか。
37:21 今、光は見えないが それは雲のかなたで輝いている。やがて風が吹き、雲を払うと
37:22 北から黄金の光が射し 恐るべき輝きが神を包むだろう。
37:23 全能者を見いだすことはわたしたちにはできない。神は優れた力をもって治めておられる。憐れみ深い人を苦しめることはなさらない。
37:24 それゆえ、人は神を畏れ敬う。人の知恵はすべて顧みるに値しない。

詩篇 18:2 主よ、わたしの力よ、わたしはあなたを慕う。
18:3 主はわたしの岩、砦、逃れ場 わたしの神、大岩、避けどころ わたしの盾、救いの角、砦の塔。
18:4 ほむべき方、主をわたしは呼び求め 敵から救われる。
18:5 死の縄がからみつき 奈落の激流がわたしをおののかせ
18:6 陰府の縄がめぐり 死の網が仕掛けられている。
18:7 苦難の中から主を呼び求め わたしの神に向かって叫ぶと その声は神殿に響き 叫びは御前に至り、御耳に届く。
18:8 主の怒りは燃え上がり、地は揺れ動く。山々の基は震え、揺らぐ。
18:9 御怒りに煙は噴き上がり 御口の火は焼き尽くし、炎となって燃えさかる。
18:10 主は天を傾けて降り 密雲を足もとに従え
18:11 ケルブを駆って飛び 風の翼に乗って行かれる。
18:12 周りに闇を置いて隠れがとし 暗い雨雲、立ちこめる霧を幕屋とされる。
18:13 御前にひらめく光に雲は従い 雹と火の雨が続く。
18:14 主は天から雷鳴をとどろかせ いと高き神は御声をあげられ 雹と火の雨が続く。
18:15 主の矢は飛び交い 稲妻は散乱する。
18:16 主よ、あなたの叱咤に海の底は姿を現し あなたの怒りの息に世界はその基を示す。
18:17 主は高い天から御手を遣わしてわたしをとらえ 大水の中から引き上げてくださる。
18:18 敵は力があり わたしを憎む者は勝ち誇っているが なお、主はわたしを救い出される。
18:19 彼らが攻め寄せる災いの日 主はわたしの支えとなり
18:20 わたしを広い所に導き出し、助けとなり 喜び迎えてくださる。

マタイ 8:23 イエスが舟に乗り込まれると、弟子たちも従った。
8:24 そのとき、湖に激しい嵐が起こり、舟は波にのまれそうになった。イエスは眠っておられた。
8:25 弟子たちは近寄って起こし、「主よ、助けてください。おぼれそうです」と言った。
8:26 イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。信仰の薄い者たちよ。」そして、起き上がって風と湖とをお叱りになると、すっかり凪になった。
8:27 人々は驚いて、「いったい、この方はどういう方なのだろう。風や湖さえも従うではないか」と言った。

今年の夏も、毎日厳しい暑さが続ている。
今朝のニュースでは、ラニーニャ現象が発生したため、8~9月は暑さが厳しくなりそうだという。
多くの人が、地球の温暖化の影響で、暑くなっていると考えているが、自然の摂理はそれほど単純なものでもないのだろう。
地球の磁場が逆転した時代があったことを示す地層が千葉で発見され、チバニアンという時代名が決まったというニュースが報じられていたが、長い年月の間には、地球の磁場が逆転したり、地軸が変わって行ったりすることもあるのだそうなのだから、地上における暑い地域や寒い地域が変わってもおかしくはないのだろう。
地球の回転するスピード、角度、太陽との距離や位置関係だけでも、常に一定とは限らないし、ましてや、大気中の空気の流れや空気中に含まれる水分の量や状態、海水の温度や海流など、人が把握することのできないものが多いのが実情である。
どんなに高性能なコンピューターを使っても、今後の気候について、正しく予想することも難しい。
だから、人は、自然の前に脅威を感じ、そこに神が宿ると考えてきた。
しかし、聖書には、この世界を創られたのは神であり、自然をも従えていると語られている。
イエス様は激しい嵐をも静められた。
神は自然をも支配しておられる。
なのに、なぜ、自然はこうも人間に厳しいのかと考えるかもしれないが、神が私たちの都合の良い仕方に自然を支配されるわけではない。
私たちには分からないことは多いが、たとえ自然の驚異の前に恐れおののくだけの者でしかなかったとしても、なお、主なる神は私たちを救って下さるお方であるということを覚えたい。

詩篇 18:16 主よ、あなたの叱咤に海の底は姿を現し あなたの怒りの息に世界はその基を示す。
18:17 主は高い天から御手を遣わしてわたしをとらえ 大水の中から引き上げてくださる。
18:18 敵は力があり わたしを憎む者は勝ち誇っているが なお、主はわたしを救い出される。
18:19 彼らが攻め寄せる災いの日 主はわたしの支えとなり
18:20 わたしを広い所に導き出し、助けとなり 喜び迎えてくださる。

Write a comment:

Your email address will not be published.